高村薫・インタビュー 死が折り重なりエロスが濃く漂う場所

インタビュー

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土の記(上)

『土の記(上)』

著者
髙村 薫 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103784098
発売日
2016/11/25
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

土の記(下)

『土の記(下)』

著者
髙村 薫 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103784104
発売日
2016/11/25
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

高村薫・インタビュー 死が折り重なりエロスが濃く漂う場所


高村薫さん

土壌と農耕への関心

――編集部 高村さんの土や土壌への関心の高さはいったいどこから来るんでしょうか。

高村 もともと地学という教科が好きだったんですが、その源を辿ると、子どものころ小学校の裏の住宅造成地で地層というものを初めて見たときまで遡れると思います。ブルドーザーで削られて剥き出しになっている地層です。色の異なった層が幾重にも重なっているのがとても面白かった。モノリスと呼ばれる土壌標本の存在は東京の国立博物館で初めて知ったのですが、今回は本のカバーにモノリスの画像を使いたくて、装幀をお願いした多田和博さんとご一緒に、三重県の農業研究所を訪れて撮影させていただきました。

――『土の記』は、現代小説には殆んど登場しなくなった農村が舞台ですね。高村作品でも『晴子情歌』に始まる三部作以外はすべて都会が舞台。三部作に描かれた福澤一族の本拠地は青森ながら、農耕には携わっていません。

高村 大阪でこの地に住んでもう半世紀以上ですけれど、越してきた当時は周囲が田んぼだらけだったことを憶えています。それこそ田畑に囲まれ育った。母の実家の周辺にしてもそうでした。ですから私にとって農地のある風景はむしろ馴染み深いものです。田んぼのある風景は現代でも大半の日本人のこころに広がっているのではないでしょうか。

――そういえば高村さんの愛読書のひとつが長塚節の『土』でしたね。あの小説は土にへばりついて生きる農民の生臭いばかりの活力がベースにありました。

高村 長塚節は漱石が高く評価した作家です。同時代を生きた二人だけれど、一方の漱石は都市生活者の感覚で、今の読者にすら全く古臭さを感じさせない。自分の対極にある小説家として長塚に畏敬の念を持っていたのでしょう。けれど当時の日本は、ごく一部の大都市を除いて『土』の世界そのものだったはずです。

――今回の作品に見られる農作業はディテール豊かですね。その手順やメカニズムを読んでいると、高村さんが爆弾づくりや金庫破り、また原発やトロール船の仕組みなどを描かれた時のことを彷彿とさせるものがありました。最新の農学上の研究成果を相当取材されたんだなあと……。

高村 いえいえ、それは全くの誤解で、この小説で描いた稲作の技術は、ごく一般的に行われているものです。稲の葉が何枚出たら何日後にどういった作業にかかるかといった知識は、小説に描いたとおりどんな米農家も当り前に持っている。物差やカラースケールで測りながらに作業が行われる。稲という作物は個体差が小さいので、蓄積された経験が正確に数値化され得るんです。私も資料本には沢山当りましたけれど、主人公の米作りが何も最先端というわけではない。それだけ日本の農業は知的集約産業だと言うこともできますね。

――都市部でも中年男性が週末に「農業男子」に変身するような時代になった。でも三年経ってやっと分るようなことが実に多いと聞きます。

高村 農業が科学的なものであるということは、農家にも精密な観測や、理科の実験のような地道な試行錯誤を厭わない勤勉さが求められるということです。だから主人公もそういうタイプの男にしたわけです。

婿養子、そして妻に関する噂

――その主人公・伊佐夫ですが、七十過ぎという年齢に設定されています。少し斑惚けにもなりかけている。こうした人物を主人公に選んだ理由は何だったのでしょうか。

高村 ひと言でいえば、それが農村のリアルだからです。世帯主が公務員の兼業農家が多いにせよ若者の姿が見られない。また伊佐夫の人となりですが、彼は田園地帯にある妻の実家に婿養子に入ったくらいですから才気煥発であるはずもない。特筆すべきところの全くない人物。東京育ちで大手電機メーカー勤務という点では、インテリではあるんですが。

――その伊佐夫が村でしばしば噂の種になるわけですね。妻・昭代の不貞のことで。

高村 そもそも婿養子という存在じたいが、田舎では噂の只中にあるものです。不思議と代々男子が育たなくて養子を迎える家は珍しくはないけれども、養子に入るような男性とはどんな人物だろうと皆興味津々なわけですよ。どこに勤めていて、暮らしぶりはどうで、子どもの出来はどうで、と。ましてや女房に浮気をされているとなると、もう鵜の目鷹の目です。

――小説の冒頭ですでに妻は死んでいて、その原因となった不貞と交通事故のモチーフが全編を通じて伊佐夫の胸中を去来します。真相の一端が村人の口の端に上っては消え、それによって謎が少しずつ解明されるかのようですが、当の伊佐夫だって本当は気づいていたんだという解釈も可能ですね。

高村 都会だと妻に死なれた男はたいがい引き籠ってしまいますが、田舎だとそんなことをしていては生きていけないので、伊佐夫も噂など知らぬ顔で近隣との交流はきちんと保っています。そしてこれが年齢というものでしょうが、妻を恨み続けるということもない。夢の中に繰り返し登場するし、妻の亡霊と一緒に暮らしていると言っていいくらいです。

死とエロスに満ちている

――昭代の何やら意味深な含み笑いが、私の耳から去ろうとしないのですが、この作品にはエロチシズムが色濃く漂っているように感じます。昭代の妹である久代が、かつて懐いた恋心を伊佐夫に吐露するシーンがあってドキリとなりましたし、行方不明の老女、これもどうやら色欲に溺れた末の失踪だったらしい。年齢を問わぬエロス空間と言いますか……。

高村 田舎という所は性に対してあけすけです。この小説ではそこまで赤裸々にならないように描きましたが、地方によってはつい最近まで夜這いの風習が生きていたわけですから。また姉が死ねば妹と再婚することも珍しくはないですから、連れ合いを亡くした者同士、伊佐夫と久代の関係も村ではむしろ自然の成り行きと捉えられているのです。

――もう一つの大きな特徴は、実に多くの死が扱われているという点です。妻を亡くした伊佐夫は東京にいる兄を失うし、久代の亭主が死に、女子高生が遺体で発見されたりもする。折り重なる死のイメージは、他方では伊佐夫が自分の手で夫婦墓を建てるという行動に象徴的に見られますね。墓石を買って、そこにドリルで碑文を刻んでゆくシーンはひどく印象的でした。しかしふんだんに死を描きながら陰惨なところが全く見られないのは何故だろうと不思議に思いました。

高村 それは、こうした日本の原風景のような世界では、生と死が分かちがたいものだからでしょうね。生と死はこの国ではもともと地続きでした。あたかも、土壌の有機成分が動植物の折り重なる死によって出来ているように、です。だから田舎で暮らしていると死は特別なものではない。先祖の墓が家のすぐそばにあって生活の一部となっているのです。

――近隣の老人たちの、接触の悪い電気器具のような斑惚けの会話の面白さが、死の陰惨さを消しているのでは……。

高村 年寄りが見ている世界とは案外穴あきだらけで、深刻さが似合わないかもしれないというのが、私のいまの実感です。

――さて本作のラストシーンに読者は一様に驚くはずです。自然災害のもたらす呆気ない大量死が一瞬の間に起こる。ここには阿鼻叫喚など一切描かれず、ひたすら冷静な筆致です。

高村 二〇一一年晩夏の豪雨は近畿地方では特に大きな土砂災害を齎(もたら)しました。早朝の出来事だったので阿鼻叫喚の暇すらなかったですし、交通の途絶から被災状況の判明までかなりの時間がかかりました。このように東日本大震災とはまた違った姿の大災害だったのですが、小説家としては、どちらももはや小説の言葉が及ばない領域だという気がします。

『土の記』までの軌跡

――高村さんの作品群を少し振返ってみながら伺いたいのですが、デビューされてしばらくは国際色を備えた冒険サスペンスといった作品を書かれましたね。

高村 あの当時は、自分の外に目が向いていました。世界が深刻な問題を抱えているのに日本がそれを全く意識しないのは何故なんだろうといった疑問が常にあった。宗教や民族といった永遠に解決不能な問題を覗き込むという感じでしょうか。

――かつて書かれた「警察小説を解剖する」というエッセイの中で、日本の警察小説は、この組織を村社会の閉鎖的な虚構空間に見立てて物語を作ることに終始していて、それは旧来の探偵小説と同じではないかと指摘しておられます。

高村 警察機構は組織である以上、実際の捜査情報のやり取りは複雑な手続きを経て行われます。それではまったく面白くないので、旧来の小説では組織から捜査手法まで、すべてを造りかえてきたのですが、私は警察という組織本来の煩雑さや不合理を描くほうに食指が動いた。私の基盤にあるのは、どこまで行ってもリアリズムなんです。

――その流れで最近作に当たるのが『冷血』でしたね。

高村 あの作品では行き当たりばったりの、凡庸極まる犯人を登場させました。凡庸さということでいえば、『土の記』の伊佐夫につながっている。こうした凡庸な主人公が登場し、大きなドラマが起こらない、そんな設定でも面白い小説は書けるはずだというハードルを自分に課してみたわけです。今後も一作一作ハードルを上げながら書いていきたいと思います。

新潮社 波
2016年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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