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川本三郎「私が選んだベスト5」
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
若い作家の軽い文章にはもうついてゆけなくなった人間には、ベテランの重厚な文章に心落着く。
髙村薫『土の記』は、奈良県の山村で黙々と農業に励む七〇代の男を主人公にしている。もともとの農民ではない。家電メーカーに勤め、退職後、妻の実家で農業を継いだ。
大きな事件が起るわけではない。社会問題が語られるわけでもない。ただ黙々と田畑に出る男の日常を見つめる。地味だが力強い。
まさに農作業から生れたような腰の低い、無骨な文章が読ませる。
松浦寿輝『名誉と恍惚』は対照的に波瀾万丈。日中戦争下の上海で、警察組織を放逐された男が、混乱のなかなんとか生き延びる。
戦争、阿片、賭博、売春、暴力、そして官能。極彩色な異様な世界が展開する。「魔都」そのものが主人公といっていい。
夢魔に襲われたような奇怪な物語を描きながら文章に落着きがあるのはさすが。
このところ台湾の現代文学が次々に翻訳されているのは、台湾好きには有難い。
甘耀明『鬼殺し』は、不意撃ちを食わされたような、驚天動地の異色作。
日本統治下の台湾で育った少年が、日本軍の軍人の養子になって成長してゆく物語だが、およそリアリズム小説ではない。
少年は小学生なのに一八〇センチもある怪童。汽車に立ちはだかったり、牛をねじふせるなど当り前。
万事が桁外れ。台湾の現代史を哄笑と、誇張で愉快で悲しい民話にしている。
内田洋子『ボローニャの吐息』は在伊三〇年を超える著者の笑いと涙あふれるエッセイ集。実は、イタリアはそんなに好きな国ではないのだが、この著者の書くイタリア人は好きになる。
野地秩嘉『ビートルズを呼んだ男』は「呼び屋」永島達司の伝記。裏方に徹した男が人を惹きつける。