橋爪大三郎は『忘却された支配』を読んで歴史の悲しい断片を拾う著者の足跡をたどる

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橋爪大三郎は『忘却された支配』を読んで歴史の悲しい断片を拾う著者の足跡をたどる

[レビュアー] 橋爪大三郎(社会学者)

橋爪大三郎
橋爪大三郎

 歴史の谷間に置き去りにされた朝鮮人「強制連行」の記憶。本書はその空白を少しずつ、だが着実に埋めて行く。著者伊藤 智永氏の行脚が始まる。
 《戦時中、日本…の鉱山、発電所、鉄道、港湾、軍事施設の工事・作業現場に、植民地朝鮮から約八○万人の朝鮮人が強制動員された。事故・病気・虐待によって死んだ者も数多い。》一九四二年二月山口県長生炭鉱が落盤し、一八三人が死亡した。大半が朝鮮人だった。いま、日本人遺族が建てた碑と、朝鮮人ら犠牲者全員の名を記した碑が、別々に建っている。
 北海道の現場はさらに厳しく、多くの朝鮮人が亡くなった。心を痛めた真宗本願寺派の殿平住職は遺骨を収集し、一一五体をソウルに送った。大勢の若い人びともボランティアで発掘に参加した。
 筑豊では戦後すぐ、遺族に戻った遺骨が多かった。それでも各所の寺院に残る遺骨を集め、飯塚市の「無窮花堂」に祀った。連行には行政も関与したからと市が参加した、ユニークな施設である。
 九州の知覧と万世に特攻記念館がある。朝鮮人少年兵も特攻に参加した。大刀洗の飛行場では朝鮮出身の山本伍長が、飛行機放火の嫌疑で死刑を宣告され、容疑否認のまま銃殺された。冤罪ではないのか。こんな歴史の断片を丹念に拾い集めて、著者は悲しい図柄の全体を少しずつ浮かび上がらせて行く。
 朝鮮は一九一○年日本に併合された。大日本帝国憲法は適用されずに朝鮮総督が統治し、外地と呼ばれた。戦争末期まで徴兵制がなく、代わりに労働が課された。募集→官斡旋→徴用と制度が変わるたび、強制労働の実態はますます過酷になって行った。
 併合の前、日清戦争の最中に、大規模な農民反乱が起きた。四国から兵士六百人が新式ライフル銃で武装し急派された。命令は《向後悉く殺戮すべし》、朝鮮各地で万単位の人びとを「討伐」した。兵士の戦死者はわずか一名。一方的な流血である。
 朝鮮総督府の統治は「植民地」支配だ。でも当事者にその意識は薄く、むしろ「よいことをしている」と思っていた。その貴重な総督府の記録が《戦前の中央日韓協会から引き継がれた友好協会》に保存されていた。民間研究者の宮田節子氏は「未公開資料朝鮮総督府関係者録音記録」を公刊中である。
 伊藤氏が描くのは全体の図柄のまだごく一部だろう。両国の遺族、住民、行政にそれぞれ思いや立場がある。行き違いや対立もある。世論は無責任に煽り立てる。「侵略」「植民地支配」「反省」「お詫び」といった月並みなキーワードでくくれない問題の広がりがそこにある。
「まず謝罪を」と求めるなら、人びとは警戒し、足が遠のく。「とにかくおいで下さい」と招けば、相手を思いやる余裕が生まれ、心を開く。そんな実例を見てきた著者は民間交流に可能性を見る。
 かつて、同胞のはずだった朝鮮の人びとが、当時どんな境遇に置かれたのか、日本の人びとがわがこととして理解し言葉をみつけるまで、この行脚は続くのであろう。

太田出版 ケトル
VOL.33 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

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