女には三つの「玉」がある?! 驚愕すべき江戸の「ハウ・ツー・セックス」

レビュー

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江戸の閨房術

『江戸の閨房術』

著者
渡辺 信一郎 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784106035470
価格
1,188円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

インドの性愛、日本の色道

[レビュアー] 山田和


 本書は「もしかすると『悪魔の書』の誹りを免れないかも知れない」と、著者がまえがきで断っているように、具体的で卑猥な色道指南の紹介書である。取り上げられている書は、色事好みの「多穴主義者」が自分の体験を元に書いたものらしいが、これを収集、整理、網羅、熱心に解説したのが本書である。淫らもここまで来れば脱帽するしかない。しかしそんな本の書評を「ほかに適当な評者がいないので」との理由で編集担当者が私に白羽の矢を立てたのは、私が「発毛剤から性愛の奥義まで」とサブタイトルを打った『インド不思議研究』という本を書いていたかららしい。

 しかしじつは私は性愛にきわめて羞恥心を抱く古風な人間で、化石的なこの自分の偏執を誇りに思っているし、実際あからさまな性の描写を好まない。そんな私がインドの性愛について書いたのは、男女の性器について大・中・小といったあっけらかんとした分類をし、小さかったり広過ぎたりして相手との交合に不具合がある場合は、どうやって片方を大きくしたり狭くしてかみ合った状態にして神を見るか、あるいは性愛の義務(ヒンドゥー教徒の三大義務の一)を果たすかという物理的なノウハウを擬科学的に語る文化に惹かれたからである。また、性感の問題は神に譲って語らず、その手の教科書には図版を入れてもリアリズムを排除し、あくまでも文章に頼った抽象的表現を用いるところ、そしてその全体が「神との合一」「宇宙との合一」といった哲学的思想に向かっていることも魅力だった。天竺のそれは民俗学や風俗学でなく、あくまでも神学の領域なのである。

 ところがわが先達たちの労作を繙くと、そのレアリスム的サンボリズム?と「好き」に辟易して目を覆いたくなってしまう。求めるところも煩悩一途で、たとえば「有史以前の九体位」の一「龍翻勢」なる正常位は以下の如く書かれている。

「男は、男根で女陰の空割を擦りながら、女の陰欲を喚起し、潤いが出て来たら挿入して、『八深二浅』の法を行なう。抜き差し十回のうち、奥深く入れるのは八回で、浅く腟口を擦るのは二回というやり方である。これを緩やかに行うと、男女の情愛は愉楽の楽しみに満ち溢れ、世間の嫌な感情は忘却し、交合の絶妙な旨みを共感することができる。」

 本邦の性交はあくまでも「世間の嫌な感情は忘却」を目的とした養生術の一、つまりメンタルクリニック的要素のものである。日本の風俗産業に「ファッションヘルス」なる命名があるのはなるほどこの歴史的文化的基盤によるのかと納得したが、インド人は神と接するために性を営み、日本人は神から離れて娑婆の英気を養うために性を営むのだ。それにしても日本には古くから「好き」という「数寄」に通じる文化の基盤があり、色道にかぎらずこの特異な概念によって文化が成り立ってきたことを知ってちょっと感動させられた。

〈担当編集者のひとこと〉
女には三つの玉がある?! 今に伝わる色道指南書の数々をひもとき、詳細な挿絵とともに紹介する、驚愕すべき江戸の「ハウ・ツー・セックス」。

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 私は、この本の編集者です。

 通常、新刊本には広告宣伝用に帯を巻きます。この本にも収録した中から印象的な挿絵を選び、それを帯に使うことになりました。

 しかし、本書に収めた九十点の図版はどれも印象的ですが、どうしても帯には使えないものばかり。結局、右記の図版を使いました。これがいったい何を表しているのか、読者の皆様にちゃんと伝わるかどうか心配だったのですが、仕方ありませんでした。それで、この場を借りて改めて、下記の図についてご説明いたします。 一般的に、男に「玉」があることは知られていますが、女性にも「玉」があることはご存知でしょうか。「女にも玉が三つある」と、江戸寛文期の色道指南書『房内戯草』にはちゃんと書いてあります。「玉」が三つ巴にきれいに並んでいる状態(図参照)は「上品の上」だと説き、配置のずれ方によって上中下に分類しています。

 この「玉」はいったいどこにあるのでしょうか? なにが「上」でなにが「下」なのでしょうか?……どうしても私には、この本の面白さをうまく説明することができません。ぜひ手にとって中身をご覧ください、としか申し上げることができません。私は困っています。わかってください。

新潮社 波
2005年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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