青木さやかが読む『毒母ですが、なにか』 「おかあさん」と言葉に出すのすら吐き気がした

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毒母ですが、なにか

『毒母ですが、なにか』

著者
山口 恵以子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103512516
発売日
2017/10/20
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

母と娘の答え合わせ

[レビュアー] 青木さやか(女優タレント)

青木さやか・評「母と娘の答え合わせ」

 ここまで古傷をまざまざと思い出させ、それをなぞるような作品に初めて出会った私です。

 いや、できれば、出会いたくなかったかもしれません。

 過去、私は母を嫌っていました。「おかあさん」と言葉に出すのすら吐き気がしたし、母にとっての孫である幼い娘を抱いているのを見た時、私の大切なものに触るなと叫びたくなりました。それは、私を愛さなかったくせに、自分の名誉をこわさないよう生きろと言ってきたくせに、なにを今更、という気持ちを呼び覚ます光景だったからです。

 母娘の関係で悩んでいる人は意外に多いということは社会に出た時、知りました。母が死んでなお憎んでいる娘、憎みながら親の面倒を見続ける娘、それぞれがそれぞれの悩みに苦しんでいます。

 それでも母を尊敬し、仲の良い親子を見るたびに、私は人としてどこか欠落しているんだろうと思っていたし、それを他人に見破られるのを恐れていたように思います。

 母を許せないと口に出す度に、いま私、軽蔑されたな、と感じる経験が何度もありました。

 財閥企業の頂点に君臨する玉垣家の父と、私生児の母の駆け落ちの末、産まれた子供が、この小説の主人公、りつ子です。りつ子が中学生のとき、両親は急死。途方にくれるりつ子は、初めて会う祖父母に引き取られました。りつ子は美しく、頭脳明晰でしたが、祖父母が自分を愛しているとは感じられなかった。生活は良くなりましたが、りつ子は全く幸せを感じられない。上流階級に属していながらも決して一員にはなれない、中途半端な境遇だと思い知っていくのです。誰にも愛されていないのだと。自分は孤独なのだと。

 りつ子は、玉垣家を見返すことを目標に生きることになります。猛勉強し、最高の学歴を手に入れるも、昭和40年代当時キャリアを持つ女性は、今ほど尊敬される存在ではなく、認められない。良い家柄に嫁ぐ、ということが、女性にとっての幸せだと信じられていた時代です。あきらめることのなかったりつ子はもてる武器はすべて使って、それも叶えていきます。ようやくりつ子は自分を愛してくれる相手を見つけることができました。名家の一人息子と結婚、そして出産。母が私生児だったことを理由に、姑から女中のように扱われながらも、子供の教育にのめり込んでゆきます。まずは名門校に入学させることに打ち込んでいきますが、娘の出来は良くなくてことごとく試験に落ちてしまう。徐々にりつ子は、「このできそこない!」と娘を罵倒し、手をあげるようになってしまう。殺意すら心に抱いて修羅になりながらも、りつ子は常にこう思うのです。「全てあなたのためなのよ」

 どんな不幸が降りかかろうともりつ子は、次の目標へ次の目標へと突き進んでいきます。

 一方で、娘は母の夢を一つ一つ叶えながらも母を激しく憎んでいました。

 娘が母をどう感じていたか、答え合わせのように記されていきます。物凄い憎しみが怒濤のように押し寄せてきて、正直、読み進むのが怖かった。最後の一行を読んだ時、吐きそうになりました。りつ子は真の悪者ではないのです。死に物狂いで娘を育ててきたのです。

「あなたのために」という魔法のような言葉は母親の免罪符なのかもしれませんが、たいていの場合、娘にとってはありがたくないものなのでしょう。母というものは時に世の中で一番憎むべき相手になり、復讐するために、その存在とどうにか決別するために、残りの人生を生きていくことになってしまいます。

 夫はりつ子にこんな言葉をかけました。「僕は幸せだったよ。――だけど、君は違っていた。いつも僕たちの家庭にはない何かを探して、それを手に入れようと躍起になっていた。血眼だった」著者に、所詮男とはこうだよと、言われてしまった気がしてため息をついた私です。愛されている実感が持てないりつ子は、もっともっと、なのだ。乾いている心ごと丸ごと愛して、大丈夫だよと教えてやれないものなのだろうか。

 これはオンナのホラーです。

 読了後、ドロリとした感情が蘇ってきて、強烈にこびりついています。ああ、とうの昔に治ったと思っていたキズが疼くのです。

 私は、いま娘であり、母です。憎まれることだけは避けたいと思いつつ、日々娘を愛しんでいるつもりです。そうであっても、母には母の事実があり、娘には娘の事実がある。答え合わせをしても、仕方ないのかもしれません。

新潮社 波
2017年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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