【文藝賞受賞記念対談】百年前の作家から励まされる仕事 磯﨑憲一郎×山野辺太郎

対談・鼎談

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

いつか深い穴に落ちるまで

『いつか深い穴に落ちるまで』

著者
山野辺 太郎 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309027616
発売日
2018/11/16
価格
1,430円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

百年前の作家から励まされる仕事

山野辺太郎さん
山野辺太郎さん

田中康夫、山田詠美、綿矢りさ、羽田圭介、若竹千佐子……新しい才能を世に送り出す、新人作家の登竜門「文藝賞」(選考員:磯崎憲一郎/斎藤美奈子/町田康/村田沙耶香)。第55回文藝賞は『はんぷくするもの』(日上秀之)、『いつか深い穴に落ちるまで』(山野辺太郎)の2作が受賞しました。両作品の単行本は11月中旬発売予定です。

 ***

四十代の作家デビュー

磯崎 山野辺さんは四十二歳での作家デビューになりますね。実は僕もデビューのとき、同じ年齢だったんですよ。僕は二〇〇七年に文藝賞を受賞してデビューしたんですけど、その頃の文藝賞は綿矢りささんや羽田圭介さんといった、若い人がデビューする文学賞だというイメージが世の中一般では強かったんです。その中で当時僕が四十二歳で受賞したときに、編集部でさえ、もしかして磯﨑さんは最年長受賞者じゃないかって一応確認したくらい(笑)。実際は違ったんですが。でも去年の受賞者の若竹(千佐子)さんは六十三歳だったから、四十二歳でのデビューはもう遅い感じはしないですよね。山野辺さんは今までずっと小説を書いていたんですか。

山野辺 そうですね。高校二、三年くらいから短い話を書くようになって、大学生になってからはもうちょっと長めのものを書きはじめました。

磯崎 ずっと書き続けてはいたんですね。

山野辺 細々とではあるんですけど。なぜ自分が書き続けてきたのかということを考えてみると、足場のなさ、といいますか、とてもおぼつかないところに立っている弱い個人としての自分が、生きていく手がかりのようなものを摑みたいと思ってあがく、そのあがき方を「小説」という形にしようとしてきたのかなという気がします。危機にあったり、深刻な状況に陥っていたりするときに、ふと見方を変えると、その悩んでいる状況自体がすごく滑稽なことのように見えてくるときがあると思うんです。それが、乗り越える糸口になったりもする。そうやって沈んでいくものを盛り立てて、乗り越えていこうということを、小説の形でやっているのかもしれません。

磯崎 今回の作品はたしかに、そういった危機的な状況に陥ったときや、痛いところを突かれたときに、全く違う角度から切り返す、といったことの連続なんだけど、そういう考え方ができるようになったのはいつ頃からですか?

山野辺 もともとそういうふうに書いていたような気がするんです。ただ、以前は割と自分に近い範囲のことを書いていたのが、だんだん書くものの飛距離が伸びてきたといいますか、その延長線上で、今回は地球のあっち側まで行ってしまおうという小説になったように思います。

磯崎 大学ではドイツ文学専攻だったと伺いました。何を研究してたんですか?

山野辺 ドイツの作家ゲオルク・ビューヒナーが書いた「レンツ」という小説がありまして、卒論で取り上げたんですが、これは、実在したヤーコプ・レンツという劇作家が心の均衡を崩していく状況を描いた作品でした。その作品への関心から、レンツという作家のほうに関心が移って、修士論文ではレンツの「家庭教師」という戯曲を取り上げました。レンツの生きた十八世紀後半が舞台で、当時の大学を出た若者が、職を探しあぐねて心ならずも貴族の家庭教師になるんですが、そこから転落していくという話なんです。個人と社会というものがぶつかり合って、その中でどう生き延びるのか、生き延びられないのか、そういうところに関心がありました。単にその二つが対立しているわけではもちろんなくて、社会とか組織の中に属することで生活が成り立ったり、行動の様式が定まったりして、とりあえずそれで生きていけるんだけれども、それだけでは何か個人として押し潰されてしまうものがあるんじゃないか。潰されずに社会の中で生きながらえていくにはどうしたらいいのか、といった「あがき」を、どこかでずっと考えています。

磯崎 そして大学院を出て、就職したんですか?

山野辺 はい。修士を出てから、しばらく博士課程に在籍したんですが、研究の道を進み続けるのは自分には難しいと見切りをつけて、就職しました。そのとき入った会社で今も働いています。

磯崎 僕もデビューしたときに言われたんだけど、二十歳前後や高校生でデビューする人もいる中で、四十二歳って遅いね、と思われてもおかしくない年齢なんです。ただ実際に小説家になってみて、結果的に自分で「遅かった」と思ったことは一度もないんですよね。よく「実社会の経験を積んだほうが書くネタに困らなくていい」と言われたりもしたんだけれど、そんな志が低い話じゃなくて、そのぐらいの年齢だと、「デビュー」という華々しさに対してもすごく腹が据わっていて、そこがいいんだよね。
 四十代でデビューするのと二十代でデビューするのとでは組織と個人を描くときの厚みみたいなものが全然違うと思うんです。さっき言った組織の中の個人の立ち位置みたいなことって、社会人の経験を持っていない作家が書くと、組織を―役所でも企業でも学校でも―あたかもひとつの人格を持ったもののように描きがちなんですよね。そこに勤めている人は皆、魂を売り渡して、ロボットのように経営者の言うことを聞く、といったような。でも実際にそんなことは全くない。組織というのは全然違う考えを持った人たちが寄せ集まって働いている場で、その中で不愉快なことや楽しいこと、本当にいろんなことがある。さらに仕事で失敗したり、修羅場を経験したり、そういう組織の中での経験の蓄積や積み上げの上にしか成り立たない、腹の据わり方ができるんです。さっきの山野辺さんの考え方とこの作品の「言葉をすり替えていくことの開き直り」みたいな腹の据わり方、それは無関係ではありえないと思うんです。

想像力と真剣さ

磯崎 それで、受賞作「いつか深い穴に落ちるまで」なんですけど、河出から出ているプレスリリースの作品の内容紹介のところに、「様々な人間・国の思惑が交差する中、日本社会のシステムを戦後史とともに真顔のユーモアで描きつくす、大型新人登場」と書いてある。これが大間違いなんだなあ。この作品を読んでユーモアと言いたくなる気持ちはすごくわかるんですけど、ここでユーモアという言葉を使ってしまうと非常に誤解されやすい、ミスリーディングな気がしてならないんですよ。選評にも書きましたが、普通どんな人でも、焼鳥に刺す竹串に着想を得て、地球を貫く日本からブラジルまで到達する穴を掘る事業の成り行きを小説に書こうと思ったら、「数千度のマントルの高熱にも耐えうる超耐熱ガラスが発明された」とか、「画期的な掘削工法が開発された」とか、そういう現実的な設定でこの小説を補完したくなる、そしてそれをやっちゃうと、つまらない凡庸な小説になってしまう。でもこの「いつか深い穴に落ちるまで」という小説は一切それをやってない。「耐熱ガラス」とか「画期的な掘削工法」とかそういった小説の外部の仕掛けに一切頼らずに、小説内の論理・ロジックだけでとにかく持ち堪える、めちゃくちゃな力業、荒業を試みているんですよね。この小説はそこに感動させられるんです。だからこの作品はユーモアではなくて、想像力と真剣さなんです。凡庸なSF作品とこの小説を明確に分けているのはそこなんだと僕は思います。

山野辺 ありがとうございます。恐縮です。

磯崎 小説は書いている途中で少しでも気を抜くと、すぐに外の力に負けてしまう。読者はこう思うだろうからそれに予防線を張ろう、とか、前のほうと整合性を取るためにもっともらしい説明をつけておこう、みたいな、そういう力が小説を書いている途中、作者には常に働く。でもそれに負けちゃいけないんですよね。そこに負けずに書ききったという事実が、こんなに噓臭くて、馬鹿げた話なのに読み手に感動をもたらす。そこなんです。

山野辺 日本からブラジルに行く穴というのは、たぶん子どもの頃に誰もが一度は思い浮かべるようなことだと思うんです。地図帳なんかを見ると、ブラジルの横の海上に、正反対の日本列島の形が載っていることがありますが、このあたりに向かって穴を掘ってみたらどうなるかなって。そんなことは無理だっていうのは、子どもでもすぐにわかるんですよね。でもそれがなぜか今になって、この着想で、小説だったら向こうに行けるかもしれないっていう気がして、それをやってみようと。その過程で、自分の書きたいことを次々に膨らませていきました。その中で結局最後まで、科学的にどういう原理でそれが可能になるのかといったところには自分の関心がいかなかったんです。そこにいったら、いかにそれが不可能かということをただ確認する作業になるんじゃないかという気もしたし、小説だったらもっと違う力で行けないところに行けるんじゃないか、と考えていたんです。

磯崎 「科学でできないことが小説だったらできるんじゃないか」という想いが小説を信じる力なんですよね。そこが揺らいじゃうとすごくつまらない話になっていくんです。選評にもガルシア=マルケスの話を出しましたが、『百年の孤独』ではレメディオスという、その子に会ったらどんな男性でも好きにならずにいられないというくらい、悪魔的に美しい小町娘が出てくるんですけど、その子が風の強い日に洗濯物のシーツを干しているんですよね。干していたら強い風が吹いてきて、そのシーツが風に舞って「目まぐるしくはばたくシーツに包まれながら、別れの手を振っている小町娘のレメディオスの姿が見えた」となるんです。つまりそのまま空に吸い込まれて彼女はいなくなっちゃった、ということなんですけど、ガルシア=マルケスのすごいところは、結局その後で、事件の後の説明をどうつけるかというと「町の大抵の者は奇跡を信じて蠟燭を灯し、九日間の祈りなど捧げた。アウレリアーノを名乗る者の残酷な残虐事件が生じ、驚愕が恐怖に変わるということがなかったらしばらくはこの話でもちきりだったに違いない」と書いて、このエピソードはそれっきりなんです。科学的な説明で読者に納得感を持たせようなんてちゃちなことはしない。それでは小説を信じる力が負けているということになる。
 なんでこんなに馬鹿馬鹿しい話なのに、この小説には感動するんだろうということをさらに考えると、時間の経過がちゃんと書けてるんだよね。たとえば穴を掘ることを最初に発案した官僚の山本清晴について「歳を重ねるにつれ、穏やかな表情で聞き役に徹するかのごとく、静かに会議の席に座っているようになった。そしてときおり、心をどこか遠くへ送り出してしまって、ここに座っているのは彼自身の抜け殻にすぎないというかのような気配の薄さを呈することもあった。審議の終盤の時期には、異動によってこの計画とは無縁の部署にいて、そののち職を退いていた」とさらっと書かれてるんだけど、勤め人がだんだん年老いて会議のメインスピーカーじゃなくなっていく感じって、なかなか書けないです。後半になるとたまに出てくる研究員の杉本がちゃんと白髪になってるとか、主人公も五十代半ばになって老けてる描写が出てくる。それで何が感動するって、石井君の登場なんですよ。かつて主人公の入る会社の内定を辞退した石井君が、終盤、新聞記者になって登場する。ここがまた「そんなわけないだろ」っていう変な登場の仕方なんですけど、こういうところ、時間の経過そのものが丁寧に書いてあるからこそ、これがぐっとくるんです。こんなに馬鹿げた話でこんなにありえない話で、こんなに噓臭い話なんだけど、それがいいんです。そういうところって実は誰にでもできることではない。書ける人には書けるし書けない人には書けない、そういう書き方なんですよね。

山野辺 ガルシア=マルケスは好きな作家でして、『百年の孤独』ももちろん好きなので、自分ではどこがどうというのはわからないんですけれども、そこの繫がりというところを見つけていただいたのはすごく嬉しいことだなと思います。

磯崎憲一郎さん
磯崎憲一郎さん

「視覚の記憶」という才能

磯崎 山野辺さんがおそらく他の書き手に比べて何が違うのかというと、そういう「そんなわけないだろう。ありえないだろう」ということを言葉をすり替える力で小説をぐいぐい進めるところです。たとえば「具体的に、どんな技術で穴を掘るというんだ?」と言われたときに「温泉を掘る技術です」と答えるわけじゃないですか。そして「温泉を掘る技術を用いて温泉を掘り当てたのだから、なんの間違いもなかった」なんて書いて、結局そういう失敗ですら温泉という施設にすり替えてしまう。しかもここで温泉を掘り当てたことによって、ポーランドのコヴァルスキという登場人物が登場した後で、この人も本当の目当てが何かわからないんだけど、「温泉には、行かれたことがありますか」と主人公が聞くと、「ああ、たとえば熱海。わたしは行ったことがないんです」と彼が答える。その熱海という言葉が出たことによって、なんでこういう展開になるのかわからないけど二人で温泉巡りを始める。なんでここで温泉巡りしてるんだと思うんですよね。これのくり返しなんだけど、最後のほうでも、新聞記者に穴に入ることを「怖くは、ありませんか」と訊かれて、「逃げるつもりはない」と答えて「(穴は)人類がこの地球に築いたなかで、もっとも遠くまで通じた逃げ道でもありうるんです。だとしたら、僕は逃げることから逃げないつもりです」と言う。要するに何なのかということはわからないんだけど、「逃げる」という言葉を梃子(て こ)にどんどん言葉をすり替えて、小説を進めていくんですよね。「鈴木さんには、心の準備を。そして僕には、水着の準備を」とかね。なんで心の準備と水着の準備を並列に置くんだみたいな、そういうところが僕は腹が据わってないとできないと思うんです。これは書き手の度胸とか胆力ということ以上に、僕は何よりも小説という表現を信じる力なんだと思うんですよね。

山野辺 何かの言葉なり文なりを書いたときに、それとは正反対のこととか、異質なことが思い浮かぶことがあるんですが、それを排除せずに、並べてみる、ということをしばしばやっているように思います。それで世界がひらけていくというか、行けなかったところに少しずつ行けるようになったりするのかもしれません。

磯崎 小説家にとってかなり重要な能力というか、もしかしたらいちばん重要な資質かもしれないと僕が思っているのは視力のよさ、目のよさなんです。目がいい、もしくは視覚の記憶みたいなところなんですけど。金井美恵子さんがすごいなと思ったのは、僕が泉鏡花賞を貰ったときに金沢で何十品も出てくるような加賀懐石を、金井美恵子さんら選考委員とご一緒したんだけど、僕の隣に金井さんが座っていて。それで刺身か何かが出てきた皿を見て、金井さんがさらっと「あら、このお皿、初めて見るお皿ね」と言ったんだよね。金井さんは十年以上選考委員をやっていたはずだから十回以上もその加賀懐石を食べてるはずなんだけど、加賀懐石ってただでさえ品数が多いんだけど、普通その皿の柄を一枚一枚覚えてるわけがないじゃないですか? 僕なんか全然皿に興味ないから覚えてないんだけど、でも金井さんがさらっとそう言って、そしたら店の女将がすぐその一言に気づいて、「それは今年仕入れた有田のお皿です」と言ったんだよね。この人、すごいなと思って。視覚の記憶力のよさ、それは僕は小説家にとってすごく大事な能力だと思っていて、そういう視力のよさを感じさせる部分も、この小説の中にはちょこちょこ出てくるんですよね。作家にとって大事な資質もちゃんと備えている書き手なんじゃないか、と僕は思ったんです。

山野辺 ありがたいです。視覚的なことについてお聞きしたいんですけど、自分が書くときに、単に言葉だけが出てくるというより、視覚的に思い浮かぶ場面があったり、あるいは意識して思い浮かべたりした上で、ここは書かなくてはというところを言葉に移し替えていくことがある気がします。磯﨑さんの小説を拝読していると、風景の視覚的描写の圧倒的な豊かさというものを感じるんですが、そこでも、視覚から言葉に移し替えていくようなプロセスがあるんでしょうか。

磯崎 視覚が大事だというのは今いった通りなんですけど、ただ実際に書くときに意識しているのは言葉のほうなんですよね。記憶の中で、グレーの床の上に茶色いテーブルがあって、赤いペンが載っていた、みたいなことを覚えていることは大事なんだけど、言葉にしたときにこの色とこの色の対比が違うなと思ったら床の色を変えるんだよね、言葉として別の色を選ぶ。グレーじゃなくて肌色とかね。視覚的な情景を思い浮かべた上で、言葉として成り立たせるときにはその記憶を超えるものを書かなきゃいけないと思う。もっともらしいことを書いちゃいけないんだよ。もっともらしいものを超えた、え?! と思わせるような驚きのあるものを書いていくことが小説としては大事で、そこを書けるか書けないかがいちばん重要。あとは小説をじっくり読むこと。山野辺さんはどういう作家が好きなんですか。

山野辺 海外で言ったら、カフカとかガルシア=マルケスやボルヘスが好きです。日本の作家はいろいろいるんですけれども、高校のときには、よくあることかもしれないですけど太宰治に傾倒した時期がありました。その後は谷崎潤一郎とか。小説の中に何が描かれているかということとは別に、文章そのものの肌触りに惹かれるということがあるように思います。先程、視覚的なことについてお話しいただいたように、見えたものをただ克明に言葉に移し替えればいいわけではなくて、それがどういう言葉の連なりや組み合わせとなって表れてくるのか。そこに文章の肌触りが生まれてくるように思うんです。谷崎の文章には、肌触りの魅力を強く感じます。あと太宰と言ったんですけれども、それこそ悲観的な状況を切り返していくようなものが太宰にもあったんじゃないかという気がしています。たとえば短篇集『晩年』の「葉」という小説では、「死のうと思っていた」という一文から始まります。ところが、正月に夏用の着物をもらったから、「夏まで生きていようと思った」と繫がっていく。この展開というのも、死のうと思ってたんじゃなかったのかよ、生きるのかよ、と言いたくなるような切り返しが効いていると思うんです。生きるというなら、それはそれでよかったわけですけど。

山野辺太郎さん
山野辺太郎さん

原動力は過去からの励ましで

磯崎 山野辺さんはもう小説家になってしまったわけじゃないですか。デビューしたときに僕は保坂和志さんから、「小説家っていうのは他の仕事と違って休みがないから」と言われたんですよね。小説家の仕事って基本的には日々書き続ける。実際に文字として書かなくてもいいんだけど、常に今書いている小説のことを考え続けているというのが小説家の仕事です。本を出して売れる売れない、とか、賞を取る取らない、とかは関係なく、小説のことを常に考え続けている。全然違う仕事をしているときでも、家族サービスをしているときでも、常に小説のことが頭にあるというのが小説家の仕事なんです。土日も関係ないと思うんですよね。今勤めている会社はやめないんでしょ?

山野辺 そうですね。磯﨑さんもデビューから長らく、会社勤めをなさっていたんですよね。

磯崎 してましたね。結果的には大変でしたが、いい経験でした。そしてこれからのことですね。これはどの作家さんも言ってることではあるんだけど、新人賞を取ってデビューするって、デビュー前はそれが何らかのゴールに見えるんだけど、これはゴールでも何でもないんですよね。むしろデビューしてからのほうが大変。実際にデビューした後に書き続けていくということのほうが、新人賞を取ることに向けて書くことよりも、何倍も大変なんですよね。
 今の時代、小説なんて書いていてもお金には間違いなくならないし、物書きもそうだし出版社もそうなんだけど、金は儲からないけどそれでもやる、という覚悟がないと続けられないんですよね。それって賞をもらった後でも同じ。だから今という時代は、何かを信じて書いていくことがより重要な時代なのかもしれない。それは最初に言った小説の力であるとか小説の歴史であるとか、そういうものを信じないと続けられない仕事なんですよね。僕はこの「いつか深い穴に落ちるまで」はそういう力を信じて書いた作品だと思うから、それを信じ続けられる限りはこの先も書き続けていけると思うんですよね。

山野辺 ありがとうございます。この小説が活字になることで読者が現れ、何かしら反響があったりということもあるのかもしれないですけれども、ただそうは言っても結局書くという営みというのはどこまでいっても孤独なんじゃないかとは想像しています。でも、実はそうじゃない何かがあるのか、たとえば小説の歴史の中にある過去の作品、過去の作者からの励ましみたいなものがあるのか。そういったところ、磯﨑さんはどういうことをご自身の創作の原動力として、書き続けていらっしゃるんでしょうか?

磯崎 それはやっぱりね、過去の作品からの励ましです。もちろん読者の感想は聞こえてくるし、それも励ましにはなるんだけど、基本は孤独な仕事なんですよね。小説を書くって結局、小説の歴史のごく僅かな一部分を担うというか、僕だったらカフカにしろムージルにしろガルシア=マルケスにしろ、小島信夫でも北杜夫でも保坂和志でも、そういう人たちの作品を読んだから今自分は書いているのであって、自分が書くことによって僕の小説を読んでくれた人の中で一人でも二人でも書く人が出てきてくれたら、それで御の字なんですよね。そういう意味では、それが小説家の仕事だと思っている僕に、新人賞の選考委員を務めさせてもらったというのは、すごくありがたいことだったと思う。
 結局残っていくものは作品以外に何もなくて。カフカなんて百年前に死んでるわけです。その百年前に死んだ人から、作品を通して励まされる。前に何かの対談で保坂さんと話していると、保坂さんが「だってあの人はさ」ってことを話し始めて。そのとき保坂さんが指した「あの人」ってカフカのことだったんだよね。「あの人」、って近所の知り合いのおじさんみたいな言い方をしたんだけど(笑)。不思議なんだけど、フェリーツェ・バウアーとかドーラ・ディアマントとか、カフカが婚約破棄した恋人の名前は覚えてるのに、つい最近名刺交換した仕事相手とか全然覚えられないんだよ。やっぱり僕らはそっちの時間に生きているんだと思います。作家は孤独な仕事なんだけど、百年前に死んだ人から励まされる仕事でもある。そういう仕事に山野辺さんは就いた、ということなんだと思います。

山野辺 身の引き締まる思いがします。今日は、百年前の作家だけでなく、目の前にいらっしゃる磯﨑さんからも、たくさん励ましの言葉をお聞きすることができました。本当にありがとうございました。

(二〇一八年九月三日)

写真:小原太平

河出書房新社 文藝
2018年冬季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク