「江藤淳嫌い」が治る本 平山周吉×竹内洋・対談

対談・鼎談

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江藤淳は甦える

『江藤淳は甦える』

著者
平山 周吉 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103524717
発売日
2019/04/25
価格
4,070円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【『江藤淳は甦える』刊行記念対談】平山周吉×竹内洋 「江藤淳嫌い」が治る本

[文] 新潮社

平山周吉さんと竹内洋さん
平山周吉さんと竹内洋さん

没後二十年、自死の当日に会った著者の手による決定的評伝、ついに刊行!

 ***

「山の手階級」の批評家

竹内 のっけから悪いんだけど、『江藤淳は甦える』の著者との対談者が私でええのか、とても疑問やったんですよ(笑)。

平山 竹内さんは、『丸山眞男の時代』と『清水幾太郎の覇権と忘却』という本を書いておられますが、確かに、丸山と清水の2人は、江藤さんが60年安保の後に激しく批判した知識人ですね。

竹内 私は1942年生まれで江藤淳のちょうど10歳下。私の学生時代には江藤はすでに文壇で華々しい活躍をしていました。「文學界」に出た「奴隷の思想を排す」とか、単行本で読んでいましたよ。でも、あの頃の若者は、江藤淳があまり好きじゃなかった。

平山 どういうことですか?

竹内 江藤淳は自分自身を「山の手の坊ちゃん」と規定して郷愁を前面に出すし、東京の中産階級の崩壊イコール日本の崩壊になるからついてゆけない。60年代の大学生は、私も含めて、親が高等教育を受けていない、田舎から出てきた高等教育第一世代ですから、福田恆存や清水幾太郎、吉本隆明のような庶民的な知識人の方に親和性が高いし、人気も出るんです。

平山 調べてみてよく分かったのですが、祖父の江頭(えがしら)安太郎は、山本権兵衛に認められた俊才で、病気で死ななければ海軍大臣になり、総理大臣として大命降下されてもおかしくない人材でした。

竹内 僕は、また彼一流の膨らませた話かなと思っていました。

平山 ただ、安太郎が亡くなった後はちょっと下駄を履いていて(笑)、現実より高い階級だといい、戦後はそこから没落したという物語を作っています。

竹内 田舎に疎開していたら、いじめられるタイプですよ。

平山 戦中に住んでいた稲村ヶ崎で地元の子供に、「坊ちゃん面(づら)が気に喰わない」といじめられたと書いています。

竹内 同世代の大江健三郎が「僕のように貧しい地方人」と言っていますけど、これが当時の読書人の大学生の平均的な感覚です。だから、江藤淳の物言いにはどうしても違和感を持ってしまう(笑)。

平山 僕自身、60年安保の頃は子供でしたから、感覚が届きません。あの頃、若者代表として活発に動いていたことは今度調べて知ったのですが、同時代の若者には反感を買う態度だったのですか。

竹内 何か戦後史の生き証人みたいになってきたけど(笑)、もうひとつ、江藤淳の評判を悪くしているのは「転向」やね。戦後は「革新幻想」が崩壊してゆく歴史でもありますが、江藤は安保闘争の終わり頃にすでに当時の進歩的知識人の限界を見切り、既成文壇の側に付いた。
 1960年、江藤が「“戦後”知識人の破産」に「政治家や大小の実際家たちの時計は動いていたが、理想家の時計だけが八月十五日正午で停っていた」と書いたのを、僕はよく覚えています。まだ、丸山眞男が論壇の中心にいた左派全盛の時代ですから、当時としてはものすごい逆張りです。

平山 60年6月10日、アイゼンハワー大統領の秘書ハガチーが羽田空港でデモ隊に包囲されて、米軍ヘリコプターで脱出したハガチー事件の経緯に絶望したわけですから、かなり早い転換ですね。

竹内 もうひとつ、「亀井勝一郎論」で「群像」新人賞を受賞した松原新一が、1965年に発表した「江藤淳論」で、「若い文化」の尖端だった「作家は行動する」の著者から、たった2年で小林秀雄を擁護する「昂然たる保守主義者に転身」する過程を痛烈に批判したんですけれども、松原の本名は江頭(えがしら)肇というんです。

平山 ええっ、知りませんでした。

竹内 松原は兵庫の出身で、江藤淳=江頭淳夫(本名)のルーツは佐賀だから血縁ではないでしょうけど、松原が本名でデビューしなかった理由は想像がつきます(笑)。私と同じ京大教育学部で、2級上で1年留年した人だったけど、身近な人間の生々しい江藤の転向批判でした。

平山 江藤さんは、最初から悪名が高いという感じでしたね。本人も悪役(ヒール)という意識がはっきりある。

竹内 そうそう。

平山 デビュー時はまだ大学院生でした。1957年、「文學界」で13人の作家と批評家を集めて大座談会をやり、偉い人ばかりの中に石原慎太郎と江藤淳が若者代表で放り込まれて、高見順と大喧嘩するのが最初の役回りですから、ずっと憎まれ役で通しているんです。

竹内 そして、何といっても、山田宗睦のベストセラー『危険な思想家――戦後民主主義を否定する人びと』(65)でやり玉に挙がったのが大きいでしょう。

平山 安保闘争前後に「転向」し、「共同体文学」の批判者から「民族の魂」派に変身したと決めつけられて、保守反動というイメージが固まりました。

竹内 ところが、平山さんの本を読むと、なぜ出自の問題に拘泥するのかから、手品の種が分かってきます。すると、生前は生理的に嫌で実物をみたいと思わなかったけれど、案外、親しみ易いところもあるかもしれない、とだんだん距離が縮まってきます。読後は、今まで嫌っていた人が見直す、という意味で「甦える」評伝じゃないかと思いました。

平山 ありがとうございます。

新潮社 波
2019年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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