作者としても「賭け」の一作になりました――最新刊『民王 シベリアの陰謀』刊行記念! 池井戸潤インタビュー【前編】

インタビュー

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民王 シベリアの陰謀

『民王 シベリアの陰謀』

著者
池井戸 潤 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041117170
発売日
2021/09/28
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

作者としても「賭け」の一作になりました――最新刊『民王 シベリアの陰謀』刊行記念! 池井戸潤インタビュー【前編】

[文] カドブン

インタビュー・文=大谷道子 撮影:小嶋淑子

■温暖化、ウイルス、陰謀論。異常な世の中に、これまでの常識は通用するのか?新刊『民王 シベリアの陰謀』著者 池井戸潤インタビュー【前編】

漢字の読めない総理大臣の次なる敵は、未知の凶悪ウイルスとその陰でうごめく、国家と世界を揺るがす黒い陰謀?
小説もドラマも大ヒットし話題を呼んだ第1作につづき、コロナ禍の真っ只中に送り出す痛快エンターテインメントシリーズ第2作、その創作の舞台裏を、作者が赤裸々に語ります。

■なぜ陰謀論がはびこるのか?
その「理由」に気づいてしまった

作者としても「賭け」の一作になりました――最新刊『民王 シベリアの陰謀』刊...
作者としても「賭け」の一作になりました――最新刊『民王 シベリアの陰謀』刊…

――かつて「漢字の読めない総理大臣」として名を馳せた民政党総裁・武藤泰山。彼が第二次内閣の目玉として環境大臣に抜擢した女性議員が、パーティの席上で突如大暴れし、その原因が未知の病原体「マドンナ・ウイルス」への感染だった……というイントロから始まる『民王 シベリアの陰謀』。正体不明の伝染病が社会に広まり大混乱をきたす、まさに現在とシンクロする物語です。

池井戸:この小説は、「ウイルス」「温暖化」「陰謀論」の、いわゆる“三題噺”なんです。まず「ウイルス」は、もちろん昨年春から感染が拡大している新型コロナウイルスから。「温暖化」については、『「地球温暖化」の不都合な真実』(マーク・モラノ著)という、従来のCO2濃度上昇説などに疑義を呈する本を読んだこともあって、以前からちょっとした関心を抱いていました。
 もうひとつ、決定的にこの小説を書く動機になったのが「陰謀論」。ここ数年、トランプ政権末期のQアノンをはじめとして、陰謀論が世界中で猛威を振るっていますよね。年明けにアメリカの連邦議会議事堂にデモ隊が乱入する事件が起こったときは、本当に衝撃を受けました。あの人たちは、選挙は不正だったと本気で信じているわけでしょう? その後、アメリカだけでなく日本でもさまざまな陰謀論が流布し始めて、しかも学者や財界人など、学があって社会的立場の高い人までがそれを広めている。遊びでやっているのかと思っていたら、どうやら本気で信じているらしいということが見えてきて、「なぜ人は陰謀論を信じてしまうのか」ということが、自分の中で大きな疑問として湧き上がりました。『民王』1作目を書く動機となった「総理大臣ともあろう人間が、なぜ漢字を読めないのか」に匹敵するものになったんです。

――前作『民王』では、その驚愕の理由が明らかになったわけですが……。

池井戸:ええ。漢字が読めないのには総理の身にある事情が、そして今回は、陰謀論がはびこるのにはどうやら隠された理由があるらしい……と。国家を揺るがす真実に気づいてしまったので、作家としてこれは書かなくてはならない! と決意したわけです。

■暴走する現実を目の前にして 
一度は「全ボツ」を覚悟

――そ、そうですか……。ウイルスは瞬く間に東京に拡がり、ボンクラ大学生から食品関係の会社員になった泰山の不肖の息子・翔も仕事先で感染。都はパンデミックに際し、トンチンカンな施策を次々と繰り出します。まるで小説と現実がシンクロする状況下で執筆するのは、大変だったのではないでしょうか。

池井戸:去年の秋頃に書き始めて、最初は年内に上がる予定だったんです。ところが、コロナをめぐる状況が刻々と変化するので、執筆がぜんぜん進まない。それどころか、次第に小説よりも現実の政治のほうが迷走し始めて、キャッチアップしようとするとこちらの頭もおかしくなりそうになる。そこに年明けのアメリカの一件が起こって、ついについていけなくなりました。そこまでに500枚ほど書いていた原稿を推敲してガンガン削って、しまいには「こんなバカバカしい小説、ぜんぜんダメだ。出す意味なし!」と、一度はすべてをボツにしかけたくらいです。

――そこからどうやって復活を?

池井戸:出来に納得できずにモヤモヤしていた2月の初めごろに、「なんか最近、怒ってばっかだな」と、ちょっと反省する瞬間が訪れたんです。それで、気分を入れ替えて、見方を変えて読み返したら、このバカバカしさにも少しはいいところがあるのかもしれない……と思い始めて。それでもう一回、前向きに取り組んでみることにしたんです。
 執筆の難所になったのは、翔と泰山の秘書・貝原茂平、そして、感染をきっかけに翔と知り合った若手ウイルス学者の眉村紗英がマドンナ・ウイルスの謎を追っていく過程。これを嘘っぽくなく、しかも結末にきちんとリンクさせるように書いていくのが難しかったですが、一度はバラバラになりかけた物語が、よくつながったものだなぁと思います。

――緊急事態宣言の発出後、「マドンナ・ウイルスは政府の工作だ」という陰謀論が湧き、窮地に立たされる泰山たち。そしてウイルスの謎は国家的、世界的陰謀につながり、その陰謀がさらに大きな謎を呼んで……畳み掛けるような展開に引き込まれましたが、そのように設計していたわけではないのですか?

池井戸:設計図はないですね。「こんな感じかなぁ」と方向性だけを決めて、あとは手探りで書いていく。物語はまったくの創作ですが、途中に少し、実際に存在するものや事実が出てくるので、それらとフィクションのさじ加減を考えながら……。一応、納得するところまでは書けたと思います。

――ちなみに、舞台となるシベリア地方に行ったことはありますか? タイガの森を抜けてバタガイカ・クレーターヘ向かう旅の描写など、詳細でしたが。

池井戸:もちろんありません。ですが、たとえ正確でなくても、読者が「ああ、こういう感じなんだろうな」と想像できたらいいんです。
 紗英の上司である並木又次郎教授のようなウイルス・ハンターも、実際にいるんじゃないでしょうか。だって、現実の世の中にはヴァンパイア(吸血鬼)ハンターがいるくらいですから、未知のウイルスを求めて世界を渡り歩く学者がいてもおかしくない気がします。

■泰山がまともな政治家に見える?
今の世の中がおかしすぎるからですよ

――物語の世界は壮大でありながらも、肩の力を抜いて楽しみながら読めるのは『民王』ならでは。池井戸作品には珍しいコメディで、作中にはキャラクター同士のボケとツッコミ、毒舌が光ります。この笑いのセンスは、いったいどこで磨いたんですか?

池井戸:別に磨いていません。これまでの人生、テレビのお笑い番組などもあまり見てきませんでしたし。しいて言うなら、泰山と盟友のカリヤン(内閣官房長官の狩屋孝司)、民政党の大物で泰山の属する派閥の領袖である城山和彦、そして今作では都知事に出世した元政治評論家・小中寿太郎(こなかじゅたろう)の会話は、僕のゴルフ仲間のおじさんたちのノリそのものです。「今日、あの人来てないね」「ははぁ……コレ(小指)かな」的な(笑)。こんなことばかりなので、普通に話しているだけでもコメディになってしまうんですよ。よく知りませんが、政治家の人たちもきっと同じような感じでしょう。テレビに映る話しぶりを見ていると、あんまり上品なユーモアは持っていないなと感じますが。
 そもそも、笑えるかどうかよりも、物語としては大きな国家の危機に泰山やカリヤン、翔や貝原がいかに動くかのほうがずっと重要なんです。「ここで笑わせてやろう」「泣かせてやる」などと考えていたら、小説は書けません。キャラクターをできるだけ自然に動かしながら、アドリブで書き進めていくだけ。ありがたいことに、舞台で俳優がやるアドリブと違って、作家のアドリブは失敗しても何度でも書き直せますから。

――それにしても、〈オレはなんとしても、国民の幸せを守り抜く〉と事態に敢然と立ち向かい、自分の言葉で語りかける泰山が、いかに立派な政治家であったことか! 終盤の“見せ場”には、素直に感動を覚えました。

池井戸:おかしいですね。本当は賄賂をもらっているとか、どこかに愛人を囲っているとか、その他もろもろの悪いことをしているいい加減なキャラクターだったはずなのに、なぜかそうなってしまった。主人公が立派な人になると、小説はつまらなくなるんですよね(笑)。いずれにせよ、彼のような人物がまともな政治家に見えてしまうということこそが、我々が置かれている現実の真の恐ろしさであるといえるのかもしれません。
 終盤の泰山の場面は、他の場面よりも時間を取って、集中して書きました。ただ、実のところ、あれで本当によかったのかどうか、少し心配もしています。それは、僕の書いたものが、今までの世の中の常識や価値観の延長線上にあるやりとりだからです。でも、今のような異常な世の中になってしまうと、果たしてそれが通用するだろうか? と……。
 ただ、書き上げたとき、僕自身は「これなら許せるかな」と思いました。僕の小説を読んでくれる方たちにとっても、きっと納得できる結末になっているんじゃないでしょうか。

後編へつづく

KADOKAWA カドブン
2021年09月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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