悪意も悲劇もゴシップですらなくその冷めた視線こそが恐ろしい

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壁の向こうへ続く道

『壁の向こうへ続く道』

著者
シャーリイ・ジャクスン [著]/渡辺庸子 [訳]
出版社
文遊社
ISBN
9784892571381
発売日
2021/12/03
価格
2,750円(税込)

悪意も悲劇もゴシップですらなくその冷めた視線こそが恐ろしい

[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)

 悪意を断罪しない小説家。それが、シャーリイ・ジャクスンだ。彼女の名を世に知らしめた傑作短篇「くじ」をはじめ、平凡な生活を送っている人間の精神の内奥にひそむネガティブな思考や感情がふいに発露する瞬間、それらがもたらす悲劇や惨状を、観察者の淡々とした視点で描いて鋭い作家なのだ。その特長をよく示しているのが、第一長篇作品にあたる『壁の向こうへ続く道』。20世紀半ばのサンフランシスコ郊外にある静かな住宅地を舞台に、それぞれの家に住まう人々の身に起きるひと夏の出来事が描かれた群像劇だ。

 ご近所きってのエリートであり、いずれはここよりグレードの高い住宅地にと思っているデズモンド家。篤い信仰心の塊である夫人によって、その夫と2人の子供が窮屈を強いられているバーン家。美しい庭で知られるランサム=ジョーンズ家。老夫妻とその出戻りの娘、孫2人から成るマーティン家。住人の出入りが激しいアパートに住むウィリアムズ家。この界隈で唯一のユダヤ人であるパールマン家。といった11の住居に住まう人々の横顔をササッとスケッチするようなタッチの序章から、この物語は滑り出す。

 礼儀正しく社交する裏で、パールマン家やアパートの住人といった“異物”を排除している夫人たち。影が薄い夫たち。遊んだりケンカしたりしながら、親世代が持つ差別含みの価値観を内に育んでいる子供たち。作者は小さなエピソードを丁寧に積み重ねていくことで、住宅地の人々の裏の貌と本音をじょじょに露わにしていき、最後に集大成というべき悲劇を用意する。その悲劇すらゴシップとして楽しむ住人たちを描く筆は、しかし、断罪には向かわない。ミステリーであれば明らかにされるであろう悲劇の真実も描かない。ただ、在るもの、起きたこととしてゴロッと提示するだけ。そのシャーリイ・ジャクスンの冷徹な目こそが怖ろしい小説なのである。

新潮社 週刊新潮
2022年1月13日迎春増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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