続々・老書生交友鈔

エッセイ

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続々・千曲川の岸辺

『続々・千曲川の岸辺』

著者
伊藤 眞 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/法律
ISBN
9784641499775
発売日
2022/04/21
価格
3,080円(税込)

書籍情報:openBD

続々・老書生交友鈔

[レビュアー] 伊藤眞(東京大学名誉教授)

 前々著『千曲川の岸辺』、前著『続・千曲川の岸辺』を上梓し、本誌639号に「自著を語る――老書生交友鈔」、648号に「自著を語る――続・老書生交友鈔」を掲載していただいたのが、それぞれ2015年5月、2016年11月、今般、第3作たる本書を公刊し、再々度にわたり誌面をお借りすることとなりました。648号には、多くの方々の御厚意に囲まれて日常を過ごしていることに対する謝意を誌していますが、喜寿を超え、ますますその想いを深くしています。

 本書を御笑覧いただいた方々からの御言葉に接するとき、「人との繋がり――老書生の財産」(本書62頁)の忝さが胸に迫って参ります。

1 はじめに――地獄谷から無言館まで

 前著と同じく本書を4部構成とし、「第1部 地獄谷の湯煙り」には、折々の愚考、「第2部 菅平の秋」には、旅立たれた方々への惜別、「第3部 白銀の志賀高原」には、拙著のはしがき、「第4部 無言館と戦没画学生」には、御依頼を受けた書評や推薦の辞などを収めています。このうち、名勝・地獄谷や美術館・無言館の呼称には、はじめて接する方も少なくないと思います。それぞれ本書「はしがき」中で説明を加えていますが、地獄谷は、若き日、石を握った想いを込めて、無言館は、太平洋戦争の無条件降伏より80年に近く、ともすれば風化しがちな戦争の悲劇と惨禍の記憶を新たにしてほしいとの気持ちを表したつもりです。

 「第2部 菅平の秋」については、本書の初校を済ませた後に松嶋英機先生(本書37頁)の訃報に接し、想いの一端を「松嶋英機先生の御逝去を偲ぶ」(NBL1208号68頁〔2021年〕)に誌しましたが、倒産・事業再生分野の第一人者としての事績を想うとき、惜別の情、一入です。

 そして、再校に入ろうとする時期、蝶法協(本書24頁)の原始会員であり、広報・渉外活動を一手に引き受けてくださった古田啓昌弁護士(アンダーソン・毛利・友常法律事務所)帰天の知らせを受け、痛恨の想い消えることがありません。古田弁護士は、国境を跨ぐ訴訟や仲裁をはじめとし、実務の第一線にて多彩な活動を展開されましたが、法科大学院の教員を務めるなど、法曹養成の面でも大きな貢献をなさいました。法学教室443号34頁「座談会・複数のキャリアを経験して」(2017年)は、その一端を示すものです。

 「第3部 白銀の志賀高原」に収録した通り、この間、4冊の拙著について、それぞれ数回の改訂を行うことができました。膨大な情報と対峙し、新たな立法、判例、学説の圧力に悩まされ続ける体系書の改訂作業、心にフト疲れを覚えるときがあります。いまさら遅いのですが、もっと軽やかな研究者人生があったのかもしれません。しかし、古い俗謡の一節、「ひとりぐらいは、こういう○○が」と自らを宥め、不器用にしか生きられない者の宿命と諦めています。

2 「鈍器本」と「大菩薩峠」

 若い方と雑談している折、「鈍器本」なる流行語に接しました。鈍器とは、凶器の一種として用いられる言葉ですが、1000頁を超える書物は、鈍器になりうるという洒落のようです。拙著では、『破産法・民事再生法〔第5版〕』(2022年、有斐閣)が1382頁、『会社更生法・特別清算法』(2020年、有斐閣)が1070頁ですから、鈍器本に分類されるのでしょう。以前は、長編小説の代表格である中里介山・大菩薩峠に譬えて、法律学の分野でも、「A先生の大菩薩峠」なる呼び方があったように記憶しますが、その現代版にあたるのかもしれません。

 管見の限りでも、会社法や労働法の分野で1000頁をゆうに超える名著が知られていますが、鈍器本などと呼ぶと著者の方々からお叱りを受けるかも知れません。

 なぜ紙数が増えるのか、初版刊行時から大著として出発する書物もあるようですが(1)、私の場合には、『破産法・民事再生法』を例にとれば、原著『破産法』(1988年、有斐閣)は452頁、その後、数回の改訂を重ね、民事再生法の制定にあわせて『破産法・民事再生法』(2007年、有斐閣)〔初版〕が996頁、〔第2版〕が1014頁、〔第3版〕が1258頁、〔第4版〕が1342頁、〔第5版〕が1382頁となっていますから、30余年の刻の流れの中で、3倍を超えて体重が増えたことになります。

 フト振り返ってみると、民事再生法の制定は別にして、成長ならぬ肥大化の原因は何だったのかを考えさせられます。

3 体系書はなぜ鈍器本になるか

 原著『破産法』の基礎となったのは、法学教室に1984年4月から1986年3月まで、2年間にわたり隔月に連載の機会を与えられた「破産法講義」です。同誌編集部 故・奥貫清さんが、国立の研究室を来訪され、企画内容のあれこれを御相談したことが、昨日のことのように記憶に残っています。

 体系書の刊行を支えるのは、執筆者と編集者の方々との協働であることは、かつて誌したところですが(2)、私の出発点は、学生諸君を主たる読者として想定した教科書でした。それが徐々に頁数を増していったのは、民事再生法制定を別とすれば、自覚的ではなかったにせよ、読者として実務家の方々を想定するようになったためかと思います。

 判例と通説に依拠し、制度の骨格を記述するのでは、実務上生起する多様な問題についての解決を探る手掛かりとしての役割を果たせませんので、どうしても、蒐集しうる最大限の情報を盛り込み、見聞する問題に対する己の結論と理由付けを示そうとすると、必然的に頁数が増加して参ります。

 他方で、旧破産法の論点や現行法に移行する際の議論を削除して頁数の削減を図ることも考えられますが、これが意外に困難なのです。現行法の規律の趣旨を理解していただき、解釈論の素材とするには、これらの記述も意味が残っていると考えるためです。同じく鈍器本に分類される『会社更生法・特別清算法』における旧会社更生法や旧特別清算法に関する記述についても、同様です。

 新たな情報についての記述は付け加えなければならない、古い情報についての記述を削除するわけにもいかない、鈍器本になる理由の一つは、そんなところにあるのかもしれません。

4 編集者の御苦労

 もう一つ、鈍器本執筆者の憂いとしては、編集者に御負担をかけることです。一例をあげますと、拙著では、読者の便宜のために、重要な概念について、関連頁を示すようにしています。「破産法・民事再生法〔第5版〕」171頁でいえば、否認権のための保全処分に関し、「……転得者に対する否認はその要件が厳格なので(本書630頁参照)、否認権の実効性を維持するためには……」という具合です。

 この「本書***頁」とのかっこ書が数百箇所を超えるのです。改訂のたびに頁は動きますし、校正刷りができても、加筆すれば頁数全体に影響を与える可能性があります。再校以後は頁数が動くような加筆はしないように心がけていますが、重要判例が現れたりすると、やむをえない場合もあります。編集者に助けていただきながら頁数の記入と確認をすることになりますが、読者フレンドリーのためとはいえ、いつも申し訳なく感じています。

5 老書生、入門書執筆に挑む

 難解な体系書や高度の講義内容について行けなかった自らの学生時代を想い起こしますと(本書101頁)、このように肥大化した体系書が法曹養成教育の教科書に適するかどうか、自信がないというのが正直なところです。教壇に立っていた頃は、自著の内容を簡明に話すことを心がけておりましたが、講義の機会がなくなり、改訂のためなど、自著を読み返すつど、その懸念を感じるようになりました。

 そこで、自らに残された時間を入門書執筆のために使ってみようかと思い立ち、まず民事訴訟法に着手致しました。想定としては、半世紀以上を溯って、ドイツ民事訴訟法の学習を始めた折の教科書、Friedrich Lent, Zivilprozessrecht(Othmar Jauernig改訂)(1965年) を思い描いております。

 同書は、C.H.Beck社のJuristische Kurz-Lehrbücher(法律学入門叢書〔拙訳〕)の一冊ですが、碩学レント教授の筆によって、300頁ほどの紙数でドイツ民事訴訟法の真髄が説き尽くされています。この名著には及ぶべくもありませんが、執筆に取り掛かるまでは、いささか不遜ながら、入門書であれば、そう苦労をせずに書き上げられると信じていました。しかし、いざ始めてみると、容易ならざることに気づかされました。

 一番大きな悩みは、敬遠されない程度の頁数で、何を書かなければならないか、何を省略すべきかの判断です。想像でしかありませんが、受験生向けの出版物のように、試験を想定した論点に絞って記述するのでは、民事訴訟手続の全体像を理解していただく上でも、不十分でしょう。管轄や訴訟費用に関する規律などは、それ自体が試験に出題されることは考えにくいでしょうが、規定の内容と基本的法理については、裁判を受ける権利(憲法32条)との関係でも、理解が不可欠と思います。

 また、法源の一種である判例を引用するのは当然としても、判例・通説に依拠したことを謳うのは、研究者として気が進みません。ソンナ思いを懐きつつ、法解釈学は、法文が出発点ですから、民事訴訟法および民事訴訟規則の規定に即しつつ、手続の流れに沿って、基本原理と概念の理解を深めていただけるよう筆を進めています。

 果たして天命までに目的地に辿り着けますかどうか、長引くコロナ禍や独裁者の横暴振りを眼にする心の疲れもあり、喜寿のピアノ(本書73頁)と同様に、皆様のお目に触れる前に力尽きるのではと懼れています。

6  研究者のコンプライアンス

 事業経営者に対しコンプライアンス(法令遵守)が説かれるようになって久しく、畏友 N弁護士より研究者のコンプライアンスを意識することが必要と説かれました。もっとも、よるべき法の規定があるわけではありませんから、不文の、しかも自律規範のみです。自らの経験を振り返ってみても、教育は別として、研究については、組織として行うのは例外で、自らの手で、資料蒐集、分析、執筆などの作業を行うのが通例でしょう。

 仕上げである執筆についてみると、パソコン(ワープロ)を使用して文書を作成すると、本来なら表意文字である漢字語を表音文字のように錯覚するためでしょうか、いわゆる変換ミスが多くなります。「敬意」(×)→「経緯」(〇)という類いです。校正時にはハッとさせられることが少なくありませんし、稀にではありますが、公刊後に気づいて、恥じ入ることもあります。40年以上前、原稿用紙のマス目を手書き文字で埋めていた時代には、考えられなかったことです。

 もっとも、文章の修正加筆という面では、手書きの時代に比較すれば、考えられないほど便利になり、「校正刷りが真っ赤になるほど手を入れる植字工泣かせ」と申し上げても、60代以上の方でないと、その意味を理解いただけないかもしれませんね。

 本書49頁に盗用(剽窃)のことを誌しましたが、「意図的ではなかったが、ウッカリしてそのようにみられても仕方ない結果となった」という類いの陳弁が通用するのも、手書き時代には考えられないことです。故意を別にすれば、手書きでウッカリ、人様の文章を自分のものと勘違いして書き写すことは、まずありえないでしょうから。

 法学書の場合には、基礎となる法令や判例が共通であるところから、類似の記述が多くなるのはやむをえないなど、いろんな事情はあるのでしょうが、自らの思考の結果のみを誌す、人様の著書・論文に言及するときには、出典と引用を明らかにするというのは、研究者としてコンプライアンスの基本であることは疑いがないと思います。

7 オンライン会議(会合)の光と陰――ムダの効用

 長引くコロナ禍の中、各種の会議や会合をZoomやTeamsなどのオンライン方式で行うことが常態になりました(本書70頁)。空間移動のムダを省けるという意味では、働きざかりの多忙な方々にとっては歓迎すべきことかもしれません。

 時間の余裕だけは豊かな老生にとっても、遠く離れた地や夜分の会場に赴かないで、多様な知見に触れられたこと、コロナ禍前には想像もできませんでした。在宅ワークが広がったため、通勤時間帯の混雑が緩和されたことも社会運営や家庭生活にとっては効用というべきでしょう。にもかかわらず、フト淋しさを覚えるのは、生来、合理主義者でなく、IT化に取り残された老耄のゆえでしょうか。

 Yさんは、私と同世代、永い経歴を持つ練達の実務法曹で、折々の「雑談」相手をお願いして参りましたが、長引くコロナ禍のため、その機会が少なくなってしまいました。もちろん、オンラインでも雑談はできますが、なんとはなしに物足りないのは、画面と音声以外の第3の要素があるためかと感じています。

 視覚、聴覚、触覚と申しますが、握手などの接触はなくとも、面談できることは、そこに空間的な存在感があり、意思疎通の豊かさを生み出す契機になるのではないでしょうか。空間移動や空間確保はムダかもしれませんが、ムダの効用ともいうべきものがあるように思います。裁判のIT化に関して、ハイブリッド方式が望ましいと記していますが(本書255頁)、そんな意識が底流にあるのかもしれません。

 尊敬する先輩K先生の御言葉、「複雑、困難な案件の処理はもちろん、血の通った人間関係の維持には対面が欠かせない」との述懐に接し、深い共感を覚えます。

8 おわりに

 『千曲川の岸辺』から、『続・千曲川の岸辺』を経て、3冊目の愚想集まで、御笑覧賜った読者各位、万般の御配慮をいただいた編集部の方々に改めて御礼を申し上げ、コロナ禍の終熄を祈りつつ、終止符を打ちたいと存じます。

 ***

(1)水町勇一郎「この本にたどり着くまで――『詳解 労働法[第2版]までの歩み』」UP590号6頁(2021年)。

(2)伊藤 眞『千曲川の岸辺』91頁(2014年、有斐閣)。加藤新太郎『民事事実認定の技法』ii頁(2022年、弘文堂)も、執筆者と編集者の協働について触れている。

有斐閣 書斎の窓
2022年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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