<書評>『奇跡のプリマ・ドンナ オペラ歌手・三浦環(たまき)の「声」を求めて』大石みちこ 著
◆「明治の女」の気丈な魂
三浦環といえば、オペラ《マダム・バタフライ》が思い浮かぶ。本書は、この「声」の天才とも称すべきソプラノ歌手について書かれた伝記である。『お蝶(ちょう)夫人 三浦環遺稿』や『書簡集』をはじめ、環が和訳した歌詞、環について書かれた作家(志賀直哉や三島由紀夫など)の文章など実に様々(さまざま)な資料を駆使して、この近代日本の音楽界における不世出な人物の全貌を描き出している。
大正四年に《マダム・バタフライ》を歌って以来、これは環にとって運命を決める作品となった。昭和十年までの二十年間に世界各国の歌劇場でこのオペラに二千回出演したというから驚く。プッチーニがこのオペラを作曲しなければ、また、ロンドン滞在中に蝶々夫人役の依頼がなければ、その後の名声を得ることはなかったに違いない。
プッチーニは、環に会ったとき「マダム・ミウラがうたっているのではない。私が心の中で描く、幻のマダム・バタフライが舞台に現われたと思いました(略)あなたは世界にたった一人しかいない、最も理想的な蝶々さんです」と語ったという。その四年後、プッチーニが六十五歳で死んだことに触れ、著者は「環が《歌劇 マダム・バタフライ》の舞台に立つということは、プッチーニが描いた《マダム・バタフライ》の世界に生きるということだ。二千回演じるということは、二千回生き、二千回死ぬということである。創造した人、プッチーニを忘れることはできない」とそのつながりの深さを指摘している。
三浦環が病と闘いながら開いた最後の独唱会を、若き日の三島由紀夫が聴いた。歌の後に挨拶(あいさつ)があり、その最後に「もし治れば六月にバタフライをうたふ、直らねばこれが最後の音楽会だ」と語ったという。「ああ、明治の女だ!」と思ったと三島は書いているが、この直観はさすがに鋭い。この伝記に描かれた三浦環の波乱に満ちた人生は、「明治の女」の気丈な魂で貫かれていたともいえるからである。
(KADOKAWA・2530円)
脚本家。映画「東南角部屋二階の女」で脚本家デビュー。ほかに「楽隊のうさぎ」など。
◆もう1冊
寺崎太二郎著『原智恵子』(冬花社)。三浦環とも共演した伝説的ピアニストの伝記。