戦後の東京喜劇のど真ん中を駆け抜けた男

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

八波むと志と東京喜劇

『八波むと志と東京喜劇』

著者
森田, 嘉彦, 1947-
出版社
朝日新聞出版 (発売)
ISBN
9784021003073
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

戦後の東京喜劇のど真ん中を駆け抜けた男

[レビュアー] 立川談四楼(落語家)

 浅草ロック座、浅草フランス座、日劇ミュージックホール、テレビ、丸の内の大劇場というのが、八波むと志の歩んだコースだ。脱線トリオでテレビ創成期の人気者になり、60年代は『雲の上団五郎一座』で三木のり平と演じた『玄冶店』の舞台が“戦後東京喜劇の金字塔”と謳われ、『マイ・フェア・レディ』での演技と歌がミュージカル俳優としての地位を確固たるものとした矢先の死。

 享年37、自ら車を運転しての交通事故死だった。浅草芸人の憧れの的だった。浅草から中央へ進出し、大きな名声を得たのだから。

 亡くなったのが東京五輪を控えた昭和39年の1月、もうすぐ中学生になる私にも彼の死は大きなショックを与えた。さて読者諸兄はおいくつだったろうか。

 八波むと志の死に多くの人が落胆した。小林信彦は「八波むと志が亡くなって、初めて、その穴を埋めるものがいないことが分かった」と書き、矢野誠一は「八波の死がそのまま東京喜劇の衰退を物語って、象徴的である」と言った。

 著者は八波の恵まれない生誕から役者になるまでの青年期を掘り起こし、栄光へと駆け上る様を活写するが、死後の喜劇界にも同量の筆を使う。八波周辺の喜劇人のそれまでとその後である。エノケン・ロッパに始まり、脱線トリオの由利徹と南利明、森繁久彌、森光子、志ん生、馬生、志ん朝、渥美清といった面々である。彼らの証言、そして多くの資料によって八波むと志像と昭和の東京喜劇がくっきりと浮かび上がってくるのだ。

 驚くべきは著者の肩書きで、何と元銀行マンなのだ。ワシントン、ロンドン駐在員を経て、2011年退職。その後の活躍も堂々たるものだが、幼少から観ていた喜劇、中でも八波むと志に、定年後に取り組んだのだ。巻末の参考文献の量よ。それを誇らない筆致と、もちろん八波むと志に拍手を送らざるを得ない。

新潮社 週刊新潮
2022年12月8日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク