『人間は老いを克服できない』
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「立川談四楼」がうっかり読んで傷付けられた「人間は老いを克服できない」という本
[レビュアー] 立川談四楼(落語家)
煽るようなタイトルに惹かれて手に取った。目次の最初にいきなり「人間に“生きる意味”はない」ときて、また煽られたと思うが、読めば、歳をとればそう思うようになる、と書いてある。
著者は1947年生まれで、後期高齢者になった。その日常もまた後に続く世代の私には納得だ。「体力より気力が落ちてくる」は、もの忘れの話で、「何かをしようと思って立ち上がるまではいいのだが、立ち上がった瞬間に何のために立ち上がったか分からなくなることも多くなった」とあり、私は小咄を思い出した。
昔は便所が外にあり、催した男が戸を開けようとしたが冬場のことで凍りついて開かない。とっさの機転でシャアーッとやり、ガラリと開けて表へ出て「オレ、ここに何しにきたんだろう」。小咄をスッと思い出すところなど、私はまだ大丈夫とひと安心だ。
「残りの人生が有限だと悟った人は、未来のことは考えたくないので、過去にばかり目が行くようになる。何年後かには確実に墓の下なので、考えたくないのは当然だ。そこで、新しい交友関係を築くよりも、昔の友達と連みたがるようになるのだろう。中学や高校の同窓会やクラス会に出たり、親しい人と連絡を取り合って食事会をしたりするのが、無上の楽しみになってくると、」この後どう続くのか。「人生はそろそろお仕舞だと思った方がいいかもしれない」と結ばれるのだ。
単に懐かしいからと思っていたら、バッサリ否定されてしまい、ここを読んだ私の傷は存外深かった。逸話を笑っていると、こうして斬られたりする、油断のならない本なのだ。
著者は老いを「正常な老化現象」だと言いつつ、執筆活動はいよいよ盛んだ。そう、目や膝の不調を訴えつつも、今年はあと9冊本を出すんだそうな。あちこち痛むらしいが、その張り合いを羨ましく思う。