妻が怒っても間違っていても言い返さない理由に心打たれた 山本さほの新作漫画の魅力を南沢奈央が語る

レビュー

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てつおとよしえ

『てつおとよしえ』

著者
山本, さほ
出版社
新潮社
ISBN
9784103550211
価格
1,210円(税込)

書籍情報:openBD

大共感! “家族あるある”漫画

[レビュアー] 南沢奈央(女優)


妻が怒っても言い返さない父(山本さほ『てつおとよしえ』より)

 幼少時代からの親友・岡崎との思い出を描いた自伝的作品『岡崎に捧ぐ』の作者・山本さほによる家族漫画『てつおとよしえ』が刊行した。

マイペースで機械オタクな父・てつおと、倹約家で心配性な母・よしえ、末っ子で心配ばかりかけている自分自身を描いた実録マンガの読みどころを、女優の南沢奈央さんが紹介する。

他人の家族の思い出なのに共感してしまう理由とは何か? その魅力を語る。

南沢奈央・評「大共感! “家族あるある”漫画」

我が南沢家は5人家族だ。父、母、3歳上の姉、わたし、3歳下の弟。うちの家族は仲が良い、らしい。わたしが仕事を始めた高校時代、学校の友達と遊ぶ時間もあまりなかったので、テレビ番組や取材では家族の話ばかりしていた。当たり前のように思っていたことばかりだったが、理想の男性は「父」、朝早いと母が仕事の現場まで車で送ってくれ、姉は女友達のような関係で、弟の彼女に嫉妬する、などと話すと驚かれ、家族仲が良いことを自覚していった。

一度話した仲良しエピソードを面白がってくれて、しばらく他のバラエティ番組などでも鉄板ネタのように振られるということがままあった。たとえば、年末年始の家族恒例行事の話。まずは大晦日の年忘れカラオケ大会から始まる。そこでは家族の前でまだ歌ったことのない曲を披露しなくてはならない。夜はすき焼きを食べながら、それぞれその年の重大ニュースを発表し、最後に父が「今年の漢字」で総括する。年越しが近づいてきたら、みんなで手を繋いで円になりカウントダウンを始める。3・2・1でジャンプ、拍手。これがまあ盛り上がる。そして元旦、おせちとお雑煮をいただきながら、新年の目標を宣言する。この普段とちがう家族の一面も見られるイベントが大好きだった。

 数年前、姉と弟は結婚して実家を離れ、今わたしは一人暮らし。5人でカラオケに行ったのはいつが最後か思い出せないくらいだし、みんなが最近どんな曲を聞いているかも分からない。すき焼きは集まれる日にということで、大晦日とは限らずに年末のどこかでやっている。母は寝るのが年々早くなっていて2023年への年越しジャンプは父とわたしの二人だった。姪っ子甥っ子たちも集まり賑やかな元日には、自分の目標よりも彼らがすくすく育ちますようにと願わずにいられない。

年を重ねれば、家族は変化していく。当たり前だったことが、思い出になっている。父と母にまつわる思い出を綴ったエッセイ漫画である『てつおとよしえ』を読んで、ハッとさせられた。


南沢奈央さん

 山本家も5人家族だ。著者の山本さほさんは9歳上の姉と6歳上の兄を持つ、末っ子。父のてつおさんは、温厚でマイペース。子供に対してはクールで、孫たちと一緒に遊ぶよりも、庭にブランコや滑り台、ボルダリングなどの遊具を作り、遊び場を提供するタイプ。母のよしえさんは、気が強くて倹約家。子供がとにかく好きで、孫の写真や絵などを居間にびっしりと飾り、一緒に遊びたいタイプ。

“性格は真逆”と言うほど異なるタイプの二人だが、毎年二人で旅行に行くほど仲が良い。絶妙なバランスを保ったご夫婦だ。真面目なよしえさんの小言が多くとも、てつおさんがうまくかわすから、喧嘩になることはほとんどないとか。佐藤愛子さんの〈鈍感は寛容という美徳になる〉という言葉をふと思い出す。丸二日姿をくらませて麻雀に興じていた夫が帰ってきたときに、雑巾バケツの水をぶっかけた佐藤さんだったが、夫は一切怒らなかった。それを見て、自分が結婚できたのは「彼が鈍感であり即ち寛容だった」からだと気づく。てつおさんとよしえさんの間にも、お互いの欠けている部分を補い合っているような関係性が築かれているのだろう。

 ただ、娘のさほさんから見ると、母が間違っていることもあるのに絶対に言い返さないでいる父が不思議で仕方ない。それである日、言い返さないでいる理由を直接聞いた、というエピソードがじんと来る。29歳で漫画家になり、心配ばかりかけてきた両親に対して何か恩返しをしたいというエピソード(第4話「サホの恩返し」)もあったが、この夫婦円満の秘訣に迫った話のタイトルが「理想の夫婦」(第13話)になっているのが、この上ない恩返しになっていると思う。

全19話を通して、クスリと笑い、ほっこりしながらも、他人の家族の思い出なのに、「わかるわかる!」の連発だった。どうしてここまで共感できるのかと考えたら、それは描かれているのが“思い出”だからだろう。リアルタイムに描いた話ではなくて、大人になって、当時の出来事を回想しているから俯瞰した目線で描かれている。家族のことだけではなく、過去の自分自身も振り返るような感覚だ。思春期のひりっとした時代を描いた終盤は特にそうだった。勝手に紐づけて読んでいる間にも、こちらまでいくつもの思い出が頭に蘇ってきた。

通り過ぎたから見えることってたくさんある。そんなことに気づかされながらも、今、食後のお茶を入れてくれる父やソファで昼寝するとブランケットをかけてくれる母を見ると、わたしはまだまだ、子供だなとも思う。でも、姉弟3人で家族の思い出話ができたら、大人かなとも思う。さほさんのように両親への恩返しで何かを贈る前に、とりあえず、この一冊を姉と弟に贈りたい。

新潮社 波
2023年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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