「表現にぶつかって息苦しくなることも」女優・南沢奈央がこれまでの生き方を見つめ直すことになった小説

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夏日狂想

『夏日狂想』

著者
窪 美澄 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103259268
発売日
2022/09/29
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「表現することとは」という問いへの解答

[レビュアー] 南沢奈央(女優)

『夜に星を放つ』で直木賞を受賞した窪美澄が、時代に抗いながら「書く女」を描き出した長編小説『夏日狂想』を刊行。本作を読んで、自分自身のこれまでの生き方を見つめ直すことになった、という女優の南沢奈央さんによる書評を紹介する。

南沢奈央・評「「表現することとは」という問いへの解答」

 むかしからわたしは、自己表現が得意なタイプではなかった。大人になった今でも、親と言い合うときや誰かに意見するとき、本心を口に出せないことがままある。言いたいことがあるのに、我慢したり、すぐに言語化できなかったりするのが原因だ。その苦しさで、呼吸がうまくできなくなり、涙が溢れそうになるときもある。

 こんなわたしが、どうして表現の仕事をしているのだろう。お芝居をしたい、文章を書きたい。そして表現に触れていたい。そう思うのは、どうしてなのだろう――。ふと立ち止まって、自分自身のこれまでの生き方を見つめ直すこととなった。

 本書は、挫折を繰り返しながらも、「表現すること」を求め続け、〈闘うように生きてきた〉一人の女性の物語だ。大正から昭和の戦後、自己表現が得意不得意以前に、女性が自己表現をすること自体が難しかった時代。女性の自由はなかったのだ。やりたい仕事を選べるわけもなく、恋愛もできずに親の決めた人と結婚をして家庭に入る。主人公・礼子が女学校を卒業したとき、ほとんどの同級生はそのような道を辿った。

 だが礼子には、女優になりたいという夢があった。10歳の時に見た松井須磨子の舞台で受けた衝撃、学校行事で劇をやって拍手を浴びた快感が忘れられなかったのである。

「親のため、とか、女だてらに、とか、そんな言葉に気持ちを挫かれちゃだめ」

 礼子にとって姉のような母のような存在で、憧れだった二つ年上の寿美子に言われる。

「新しい時代の、新しい女におなりなさい」

 時代は変われど、胸に突き刺さる言葉である。礼子は故郷の広島を捨て東京に行くことを決める。それから詩人や作家など、文学の才能を持った男たちと出会い、そして恋をする。激しい荒波の中で、何者かになろうと、自分の表現を探していくのだ――。

「女優」というだけで蔑むような視線を向けられ、また演劇の世界でも、夢を諦め結婚していく年の近い女性を目の当たりにする。〈この世界は男の力添えがなければ上には上がれない〉という現実も知る。そんなとき、不良中学生で自らを「詩人」と呼ぶ水本に出会い、彼の才能に心を震わせ、恋に落ちていく。やがて自分も文章を書きたいという思いが胸に湧いてくる。

〈自由に生きたい〉

 芝居をすることも、文章を書くことも、自分と向き合うことだと、わたしは常々思う。そして自分を解放させることだとも思っている。礼子と同じで、どこかで自由になりたいと願っているのかもしれない。わたしは自分自身の口から直接表現することが苦手だが、役や文章を介して、自分のお腹の底で沸々としているものを表現してきた。これも自己表現だ。表現にぶつかって息苦しくなることもある一方で、表現をしないと息継ぎができなかったことに気が付く。

 礼子がやがて見つけた居場所もやはり、自由に表現できる場だった。表現者としての魂が、命を燃やし続けた。〈表現を志し、身を削り、血を流していた〉男たちのそばに居て、その魂に触れ続けたことも、生きるために必要なことだったとよく分かる。

 もう一つ、礼子が生きた姿をより色濃いものにしているのが、舞台となる街。東京と広島が非常に象徴的であると感じた。夢を実現するために来た東京で関東大震災に遭い、夢もろともに崩れ去り、京都へと移る。ふたたび東京に戻ってきたときには目覚ましい復興を遂げていて、礼子の夢も再燃する。でも長年くすぶり、刺激は多くとも芽吹かない時期が続く。そして戦後に、かつて捨てた広島に帰って、夢の実現の源流を見つける展開となっている。礼子たち表現者の辿る道から、芸術分野だけではなく、社会や価値観も激動の時代であったと、読みながら肌で感じる。

〈あるのかどうかもわからない世間というものの目におびえることなく、会いたい人に会い、やりたいことをやるべきだ〉

 表現することは、生きること。表現することは、身を削ること。だからこそ魂震える作品が生まれる、ということを物語で描きながら、そのことを『夏日狂想』という一冊で証明してみせるという窪美澄さんの気迫さえも感じる力作だった。

新潮社 波
2022年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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