『安倍晋三実録』
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『安倍晋三実録』岩田明子著(文芸春秋)
[レビュアー] 井上正也(政治学者・慶応大教授)
政権「3度目」構想 逸話も
政治取材にはディレンマがつきまとう。政治家と深い関係を築かねば本音は聞き出せない。だが、距離が近過ぎれば取材対象と一心同体となり、報道の中立性が問われる。派閥の盛衰やプライバシー意識の向上など時代によって取材手法に変化はあるが、いつの時代も有能な記者ほど、取材対象との一線をどこに画すかに苦悩してきたのではなかろうか。
本書は、安倍晋三元首相を約20年にわたって取材し、同氏に最も近いといわれた政治記者による実録である。安倍政権については、既に多くの書籍で論じられているが、本書の特徴は、安倍氏や側近への取材記録に基づきながら、外交問題を中心とする政策過程を丹念に追った点である。また退陣後の安倍氏が将来の台湾有事勃発を念頭に、三度総理の座に返り咲くことを考えていたという逸話は、本書で初めて詳細が明かされた。
長らく安倍氏と苦楽を共にしてきた著者であるが、その筆致は抑制的であり、安倍氏の政治姿勢への過度な共鳴は見られない。むしろ評者の目についたのは、第一次政権退陣前の安倍氏に内閣改造を意見具申した後、記者の領分を踏み越えたと自らを戒める件や、安倍氏の「驕(おご)り」を記事にした際に支持者から批判されたという逸話である。安倍氏に近かったからこそ、距離の取り方に悩む著者の姿を見て取れる。
本書に先駆けて刊行された『安倍晋三回顧録』と比べると、やや踏み込みを欠く印象を受けるが、それは本書の価値を大きく損なうものではない。なぜなら、安倍氏自身が政策と政局を結び付けて縦横に話した「回顧録」がウラの議論だとすれば、外交政策を中心とする安倍氏の理念と政権の軌跡を描いた本書はオモテの議論だといえるからだ。それはどちらかが真というわけではない。「回顧録」と本書をコインの表裏のように一体で捉えてこそ、安倍政権の歴史的意義を理解できるのではなかろうか。