『山県有朋』
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『山県有朋 明治国家と権力』小林道彦著
[レビュアー] 井上正也(政治学者・慶応大教授)
強大な政治力 晩年に陰り
時代の変遷によって人の評価が一八〇度逆転することは珍しくない。山県有朋といえば、かつては「日本軍国主義」を体現する権威主義的な藩閥政治家というイメージが支配的であった。しかし、近年は彼の地方自治論や柔軟な外交政策が着目されるようになり、優れた保守政治家としての再評価が進んでいる。
本書は山県の生涯を、彼の政治権力の消長を中心に描いたものである。陸軍や内務省を中心に強大な山県閥を築いた彼だが、ただ「権力への意志」だけに突き動かされていたわけではない。
欧米で始まった軍事革命の波が押し寄せるなか、山県は近代的な国民軍の建設が、日本の防衛に不可欠だと考えていた。そして、国民皆兵の根幹たる徴兵制をスムーズに進めるためには戸籍や納税といった地方行政制度も整えねばならない。そのことは彼の関心を軍事から国家制度全体へと向けさせた。山県が目指したのは、私的利益の衝突の場たる政治から切り離されたプロフェッショナルな軍隊の確立であった。
政党政治に対抗して強権的に振る舞ったイメージの強い山県だが、政権運営や制度設計においては意外にも柔軟だった。だが、本書の白眉は、単なる再評価に留(とど)まらず、ポスト明治の新時代に対応できなくなった晩年の姿を巧みに描き出した点であろう。日露戦争が終わる頃から山県の権力は老いと共に揺らぎ始める。都市部での大衆の勃興に対応できず、山県閥の後継者たる児玉源太郎や桂太郎との疎隔も目立つようになった。
若き日に軍事革命の世界的潮流に敏感に対応した山県であったが、軍事と政治経済が相互に浸透する総動員体制の時代にはもはや適応できなかった。国内外で起こる君主制の危機に過剰に反応し、国力を度外視した軍拡や対外膨張の理想を語っては周囲を当惑させた。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という言葉があるが、明治と共に消えられなかった山県が、革命に怯(おび)えながら、自らの正統性の原点たる勤王論へと回帰する姿は歴史の悲喜劇だといえよう。(中公新書、1056円)