『偽情報と独裁者』
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『偽情報と独裁者 SNS時代の危機に立ち向かう (原題)HOW TO STAND UP TO A DICTATOR』マリア・レッサ著(河出書房新社)
[レビュアー] 小泉悠(安全保障研究者・東京大准教授)
陰謀論拡散 分断煽る怖さ
炒飯(チャーハン)が作られるところを見るのは楽しい。職人の手で一碗(わん)の米が卵と混ぜ合わされて、魔法のようにパラパラになる。そんな様子を、気づくと小一時間も見ていた。SNSで「オススメ」される動画を見ると同じような動画が際限なく「オススメ」されてくるのだ。
これが実はかなりコワい状況であることを、本書は余すことなく描いている。著者のマリア・レッサはフィリピンのジャーナリストとして2021年のノーベル平和賞を受賞した人物だが、当初はSNSに非常に好意的だった。権力を監視し、民主主義を発展させる力になりうると考えていた。だが、期待は幻滅に変わる。それは時に陰謀論を拡散し、人々の憎悪を煽(あお)り、社会の分断を広げるモンスターだった――。
昨今では珍しい話ではない。だが、レッサはこれを当事者として体験した。彼女がフィリピンで立ち上げた報道メディアがドゥテルテ政権から目の敵にされ、中傷と脅迫に晒(さら)された挙(あ)げ句(く)、起訴・逮捕の対象とされるようになったのである。レッサはあくまで抵抗し続けるが、それでも彼女の置かれた状況は本書の中で刻一刻と悪化していく。テクノロジーを独裁者が駆使するようになった時に起きることがこれであり、しかもどこの国でも起きうるとレッサは警告する。
本書が描くもう一つの現実は、SNSを運営するテック企業が構造的に孕(はら)む問題である。炒飯の動画であろうと独裁者の扇動であろうとテック企業は構わない。利益を生むことがテック企業にとっての善なのであり、自浄作用は期待できないことを彼らとの対話を通じて暴露する。
では、このような状況を変えるには?
私たちが自分の頭で考え、政府を動かし、新たな規範を作るしかないとレッサは結論する。重い宿題であり、実行も簡単ではない。しかし、レッサが本書で示すしたたかさと行動力は、宿題を引き受けた我々を勇気づけてもくれる。手始めに炒飯動画は一本で切り上げることにしよう。竹田円訳。