「地獄の底にある伝えるべきもの」文藝賞優秀作『おわりのそこみえ』図野象インタビュー

インタビュー

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おわりのそこみえ

『おわりのそこみえ』

著者
図野, 象
出版社
河出書房新社
ISBN
9784309031613
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

第60回文藝賞優秀作受賞記念インタビュー 図野象「誰も知らない瞬間を書く」

[文] 河出書房新社


『おわりのそこみえ』(第60回文藝賞優秀作)著者・図野象

第60回文藝賞優秀作は図野象さんの『おわりのそこみえ』。主人公はスマホで消費者金融のアプリとマッチングアプリを交互に見る生活を送る25歳の美帆、今を生きるため人生を手放し、地獄の底の絶望と希望へと爆進する――。選考委員の町田康さんが「感動、アホか。そんなもんはいらんのじゃ、暈(ぼ)け。これは効いた。効きまくった」と激賞。刹那的感覚が強烈に活写された衝撃の問題作! 執筆した作者が思い描いた執筆の起点は?

* * *

登場人物全員が常識外れ

――『おわりのそこみえ』は、二十五歳の美帆の一人称語りです。美帆のまわりにいるのは、貧乏で不仲の両親、ストーカーの宇津木、お金持ちの友人・加代子、ベトナム料理屋のナムちゃん、マッチングアプリで知り合ったバンドマンのアメという、みんなどこかで社会の中心から外れた登場人物たちです。作品の構想はどこから始まったんでしょうか?

 去年の春頃に、ネットで買い物依存症についての記事を読んで興味を持って、そこからいろいろ想像が広がっていきました。書き始めたのはもっと後です。

――主人公の美帆は、日当七千五百円のバイトに遅刻しそうだからといって二千円払ってタクシーに乗ったり、いつも衝動的な選択をする人ですが、買い物依存症でもありますね。コンビニのATMで一万円キャッシングした直後、たいして欲しくもないアニメキャラのフィギュアつきお菓子を「どうせなら全キャラをコンプリートしたい」といって四千円分買ってしまう。なのに、それらをカバンに入れたまま開封すらしない。そして後日買ったことを思い出して、「別に買わなくてもよかったなとは思いつつ、でもこういうのも無意識みたいなもので、私の知らないところで買い物がなされている。物が私に勝手に買われていく。ちょっとなにを言っているかわからないだろうけど、私にだってわからない」と言います。そんな美帆を七年間ストーカーしている宇津木がいますが、やることといえば、後を追うことと短い物語を手紙にして送るだけ。美帆をはじめとして、登場人物全員が、どこか常識外れな印象を持ちました。

 僕自身も昔、好きな娘に物語風の手紙を渡したことがあるので、そういう経験も基になっているかもしれません。あと、僕のまわりには、この作品に出てくるような人が何人かいます。なんというか、やることなすこと、ぜんぶが多くの人とは違う方に行ってしまうような。今日はこのインタビューのために東京に来て、この後に会う約束をしている大学時代からの友人がいるんですが、彼は統合失調症と躁うつ病を患っていて、最近も三か月間入院していて四日前に退院したばかりで、薬物依存とアルコール依存でもあります。彼自身は彼の身に起きたことをきちんと話せません。でもその中に、彼にしかない魅力があると感じたんです。

 僕は大学生の時に彼やほかの仲間たちと一緒に映画を撮っていたんですが、彼はセリフをおぼえられないし、何度も撮影をドタキャンするし、どうしようもない人で……。でも、彼にしかない魅力があって、演技でもそれが出るんです。彼とは、「ここでこんなことが起こったら面白いんじゃないか」というようなことを、いつも一緒に考えていて、それを実行に移したりして遊んでいました。

 そういう特別な魅力のある人たちからも、どこかで物語の着想を得ていると思います。

――小説よりも、映画が先だったわけですね。

 高校生の時に、文化祭のための映画を作ったことがあって、それが大阪府高等学校芸術文化連盟が主催する大会で最優秀賞を取ったんです。それで大学に入ってからも映画を撮り続けていたんですが鳴かず飛ばずで。映画の仲間は、大学の喫煙所とかで面白そうな人に声をかけて集めたメンバーでした。今もそのつながりがあるのはよかったなと思います。

家なし生活で書いた初小説

――小説を書き始めたのはいつ頃でしょうか?

 大学を卒業してから美術画廊に就職したんですけど、半年くらいで辞めてしまったんです。それから住んでいたアパートを解約して、家具も全部大阪の実家に送って、しばらく家のない生活をしていました。二十三歳くらいのことです。その時に、初めてまとまった小説を書きました。

――家がなくて、どこで寝泊まりしていたんですか?

 最初は、品川区不動前の二十四時間営業のマクドナルドです。主に夜はそこで過ごしていました。

――え!? 店員さんに起こされませんか?

 今は難しいと思いますが、当時は甘かったんですよ。コーヒー一杯で朝までいられました。それからしばらくして、友人の家で寝泊まりするようになりました。

 彼は、僕が育った大阪のマンションの、隣の隣の家に住んでいた幼馴染で、とてもいい絵を描いていました。彼は大学へは行かずに東京へ出て、独学でずっと絵だけを描いて生活していました。彼も家がないことが多かったんですが、その時はたまたま千葉の松戸でボロボロの家に住んでいて。

 冬だったんですが、外出先から帰ると、布団にネズミの糞が大量に落ちてるような家で、一緒に生活をしていました。

――今どき珍しいですね(笑)。初めての小説は、どんなものを書いたんでしょうか?

 実は、僕が美術画廊に就職したのも、その幼馴染の絵を売るためだったんです。彼はただ絵を描くだけで、自分で売ったり、賞に出したりしないんです。あえて苦しい選択をしているみたいに描いていました。

 でも画廊は、結局いろいろあって辞めてしまいました。そこで、僕が彼についての小説を書いて、それが売れれば、彼の絵も売れるのでは、と思って、それで彼との暮らしを書きました。それが初めて書いた小説です。

 彼との生活は、同じ屋根の下で、彼は絵を描いて、僕は小説を書くという、お互いに高め合っていけるはずの環境でした。なのに、なんでお前はこのタイミングで飯を炊いていないんだ、といったような些末なことで揉めていたんです。でも、そういった、しょうもない人間的なイライラの方が印象に残っていて、なんだか小説的だなと思ったりして。今でも仲は良いですよ。

――家なし生活は、どのくらい続けていたんですか?

 合計八か月くらいですかね。でも途中で、以前に付き合っていた彼女の家に行ったりしました。三軒茶屋の豪邸に住んでいた箱入り娘が、親の反対を押し切って独り暮らしを始めてくれて、それで復縁して。でも僕は、ほんとうにどうしようもない生活をしていたので、結局二か月くらいで放り出されてしまいました。

 それからは、もう完全にお金がなくなって、友人の家の住所を借りて就職活動をしました。不登校生支援のような仕事をするようになったのですが、それが忙しくて小説を書くどころではなくなってしまって、二年で辞めて、大阪に帰ったんです。

人生のどうしようもなさの中の、ある瞬間

――小説はもともと好きだったんでしょうか? どんなものを読んできましたか?

 そんなにたくさん読む方ではないんですけど、高校二年生の時にサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んで、あ、小説ってこんなに心震えるんだ、って思って。

 それから、トルストイ、ドストエフスキー、ゲーテ、カフカ、バルザックとか、いわゆる世界の名作を読んだりしていたんですが、中でもカミュの『異邦人』がめちゃくちゃ好きで、これまで十回くらいは読んでると思います。

『異邦人』は、乾いた文章で、決定的に本人が不在で、その感じがすごくぴったりきたんです。特に好きなシーンは、主人公が、母親の死は悲しかったかと訊かれた時「健康な人は多少とも愛する者の死を期待するものだ」と答えるところです。弁護士には、法廷ではそんなことは言うなと言われるのですが、そのあとも本人の意図せぬままに進んでいくのもいいんです。

――『異邦人』では主人公が殺人を犯しますが、本作の主人公の美帆も、ある人の死に関わってしまいますね。

 はい。結構影響を受けていると思います。作中の、「人はいずれ過ちを犯す」という言葉は『異邦人』からとっているし、主人公の本意でないところで物語が進んでいくところも影響を受けていると思います。『異邦人』の主人公が殺人を犯した時、もう身動きしない相手にさらに四発の銃弾を撃ち込むことが死刑判決へとつながるのですが、そういう展開も無意識に真似しちゃってるのかもしれません。

――今後はどういう作品を書いていきたいですか?

 人は、ふつうなら右に行くだろうという状況でも、なぜか左に行ってしまう、ということがあると思います。本人はちゃんと考えてそうしているけれども、なぜかどうしても右を選べなくて、その結果苦しんでしまう。じゃあなぜ左を選んだのかと聞くと、本人も知らない。つまり、誰も知らない。

 その、誰も知らない、という瞬間に強く惹かれて、小説を書いています。そういう、どうしようもなさの中にある、無意識のあり方みたいなところに、伝えるべきものがあるんじゃないかと思っています。

(2023/9/4)

写真=石渡朋

河出書房新社 文藝
2023年冬季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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