『の、すべて』
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<書評>『の、すべて』古川日出男 著
[レビュアー] 重里徹也(聖徳大特任教授・文芸評論家)
◆混迷の果てに見えるのは
この30年の日本のありようをどう考えればいいのだろうか。政治の混迷、経済の停滞、人々が心の底に抱えている不安や虚無感。こんなはずではなかったという戸惑いと、光明の見えない閉塞(へいそく)感に包まれている。これを小説で解きほぐすにはよほど大がかりな構想と複雑な仕掛けが必要ではないだろうか。
この原稿用紙1000枚を超える長編を、そんな課題に果敢に挑んだ試みとして読んだ。時代を丸ごとにとらえようとするエネルギーが脈打っている。といっても、重苦しい作品ではない。ストーリーは軽快に進み、語りの妙についつい引き込まれてしまう。
物語は1991年から始まる。平成でいえば3年だ。主人公の大澤光延がアメリカ留学から帰国した。父親は東京都副知事。大澤は美貌なうえに、ヤマタノオロチを退治したスサノオに擬したイメージ戦略も功を奏してカリスマ的な人気を集め、参院議員を経て都知事になる。ところが、2017年にテロに遭い、何年も入院する重傷を負う。作品の全体はこの政治家の評伝という体裁をとっている。
まずは大澤の恋愛が小説の冒頭を飾る。相手は神職を世襲する家柄で、本人は巫女(みこ)をしている女性だ。物語は、政治に加えて二つの重要なテーマをはらむことになる。恋愛と宗教だ。いずれも、人間の心の空虚を満たすものといえるか。彼女は「皇紀」だの「神社経営」だのといった言葉を多用して、小説に古代からの歴史を持ち込んでくる。
ところで、この評伝の語り手が興味深い。芸術家として知られた存在だ。彼はときどき顔を出して、時代を解説したり、人物の内面を描いたりして、巧みにストーリーを語っていく。挙げ句にテロの犯人に憑(つ)かれることもある。
現在のパンデミックに至るまで、時間は着実に経過する。その時に見えてくるものとは一体、何なのか。
全編を通じて、ブランコのイメージが通奏低音のように響いている。それは寄せては返す波のように揺れ続ける。その揺れが小説全体に独特なリズムをもたらしている。
(講談社・3300円)
1966年生まれ。作家。著書『アラビアの夜の種族』『聖家族』など。
◆もう1冊
古川日出男訳『平家物語1』(河出文庫)。テンポのいい現代語訳。