『トゥデイズ』
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<書評>『トゥデイズ』長嶋有 著
◆かけがえのない日常つぶさに
立花恵示40歳、美春35歳、コースケ5歳。コロナ禍に見舞われた年に入居した住まいは、神奈川県R市の1~5号棟まである築50年の7階建て分譲マンション。長嶋有の『トゥデイズ』は、家事も子育てもうまく分担できている立花家の日常を綴(つづ)った小説だ。
美春は近所のドラッグストアへバイトに出て、IT企業に勤める恵示はコワーキングスペースでテレワークに励む。まだ眠そうな幼い息子に朝食を作り、ミロを飲ませる光景や、自転車で保育園まで送っていく際の、恵示が「しゅっ」と言えばコースケが「ぱーつ!」と続ける合言葉。そうした立花家ならではのルーティンからなる日々が描かれる中、飛び降り自殺や、2017年にR市で起きた凄惨(せいさん)な連続殺人事件のような暗い影が差すものの、総じて雰囲気は穏やかだ。どこにでもありそうな集合住宅とそこでの淡い人間関係や家族の姿。でも長嶋文学の美点は、そんなどこにでもありそうな何かを、かけがえのない特別な何かに変えてしまう語り口にある。
長嶋有はディテールをおろそかにしない。第1回大江健三郎賞を受賞した際、かのノーベル賞作家も長嶋作品のディテール描写にいたく感心していたけれど、この作品も然(しか)り。飛び降り自殺の場所となったエレベーター脇の用途不明のスペースをはじめとするマンションの構造。同じ間取りなのに、それぞれの暮らしぶりは全然違うマンション生活。R市の地理。5歳児の日々のたたずまいと成長。などなど、作者によるたくさんのディテールの描写によって、立花家を中心として進行する物語は独自性を培い、また読者はそこに自分との類似性やこれまでの経験を再発見して共感することができるのだ。
タイトルの「トゥデイズ」は今日の積み重ねが生活であり人生であることを示唆し、アポストロフィーをつければ「今日の~」の意味にもなる。生きやすいようで生きがたい、生きがたいようで生きやすい。この小説はそんなわれわれ小市民の「今日(の~)」のかけがえのなさを描いて、心温まる作品なのだ。
(講談社・1760円)
1972年生まれ。作家。2002年「猛スピードで母は」で芥川賞。
◆もう1冊
『三の隣は五号室』長嶋有著(中公文庫)。谷崎潤一郎賞受賞の「アパート小説」。