『こまどりたちが歌うなら』
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寺地はるな『こまどりたちが歌うなら』清 繭子さんが読む
[レビュアー] 清繭子(ライター、エディター)
わからないまま思いやること
わりと大人になってから友達に絶交されたことがある。「この子は危なっかしい」とあれこれお世話していたら「見下さないで」と連絡を絶たれたのだ。いつのまにか私はその子を妬(ねた)んでいて、だから下に置きたかったんだと気づいた。
親戚の伸吾が社長を務める吉成製菓に、前職でつまずいた茉子(まこ)が転職し、「コネの子」と周囲に言われながらも奮闘する。そんな風に本書のあらすじをまとめるとお仕事小説のようだが、違う。これを読めば誰もが、誰かを断罪して失敗した苦い経験を思い出すだろう。この小説は、人が人を思うことの本質を、主人公と一緒になって探究する物語である。
伸吾は父である会長の言いなりで、パートの亀田は事なかれ主義。茉子の家に入り浸る友人・満智花(みちか)はひ弱で自分の意見がなく、営業の江島(えじま)は時代錯誤のパワハラ上司。「残業はタイムカードを押してから」なんて違法行為が横行する職場で茉子は労働環境改善に乗り出す――、というのは物語の初めの景色で、そのうち茉子の目は開かれていく。
「他人は茉子の知り得ないその人自身の時間を真剣に生きていて、そのあいだにさまざまなことを吸収したり乗り越えたりして、前進し続けているのだ」
主人公に正され、励まされ、成長させられるような人たちはここにはいない。ただ茉子がその人たちの元々の力に気づくだけ。さらに本書は「できる子」と言われてしまう茉子の、本当は震えている手や本人も気づいていない強さまでも描く。寺地はるなの小説はいつも誰も置いてきぼりにしない。弱い人も、強い人も。
探究の中で見出される「他人の期待を自分の義務にしてはいけない」「『人それぞれ』なんて言葉は、問題の本質から目を逸らすための都合の良い言い訳」などの箴言(しんげん)がグサグサ刺さる。そして、それでも辛そうな背中にはお菓子を差し出さずにはいられない吉成製菓の面々に、私もそうだったんだ、と気づいた。ただ思いやりたかったんだ。そのやり方を今度こそ間違えないようにしようと思った。わからないまま、その人を思おう。
清 繭子
きよし・まゆこ●ライター、エディター