『金正恩の革命思想』
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『金正恩の革命思想 北朝鮮における指導理念の変遷』平井久志著
[レビュアー] 遠藤乾(国際政治学者・東京大教授)
独裁下の「人民・国家第一」
北朝鮮を長年観察してきたベテラン記者が、金正恩の10年余りを追究する。分析の中心にあるのは指導理念。そこから彼の個人独裁の深化が浮き彫りになる。
北朝鮮は思想の国家である。印象的な出だしで始まる本書は、金氏三代の統治理念が支配の鍵とみて、その些細(ささい)な変化も見逃さない。首領さまたる金日成は主体思想を、将軍さまたる金正日は先軍思想を練り上げ、それぞれの統治を固めた。権力移譲に先代よりはるかに少ない時間しか費やせなかった金正恩は、当初金日成・金正日思想を引き継ぎつつ、時間をかけてみずからの統治理念を打ち出していく。血統は大事でも、自分の治世を自前の思想で染め上げる必要に迫られるのだ。
中核には、「人民大衆第一主義」がある。「人民的首領」を自称する金正恩は、先代の先軍思想を歴史のわきに追いやり、「人民生活の向上」を企図する。核兵器と大陸間弾道ミサイルの開発により核武力を完成したとして、やっと民生に資源を振り向けることができるという算段だ。加えて、人民第一を掲げることで、ときに首領と心を一つにしない幹部を粛清する道具ともなる。
もう一つは「わが国家第一主義」。先代の「わが民族第一主義」が民族の脇を締め、体制を固める防御的な性格を持つものだったのに対して、金正恩のそれは、国防・経済建設の自信を外に投射する攻勢的なものだ。南とはもはや同じ民族ではなく、敵対国家として対峙(たいじ)してゆく。
しかし、二つとも未完かつ未達だ。いまだ民衆は白米にありつけず、生活は苦しい。思想で統制すればするほど、農業を中心に機能不全を引き起こす。
前世紀末のことだが、評者は一度だけかの国を訪れたことがある。そこでは、独裁の息苦しさは覆いがたく、会う人の目と言葉はうつろだった。著者が丹念に追う「思想」は、紡げど紡げど結局、個人独裁の正当化に行きつく。統治理念が変遷しても、その根っこに独裁の維持・強化がある限り、変わらなさもまた、そこにある。(筑摩選書、2090円)