“芸妓に溺れた”と誹謗嘲笑された「高橋是清」が内閣総理大臣に上りつめ2・26事件で斃れるまでの生涯を描く

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国家の命運は金融にあり 高橋是清の生涯 上

『国家の命運は金融にあり 高橋是清の生涯 上』

著者
板谷 敏彦 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
歴史・地理/伝記
ISBN
9784103556312
発売日
2024/04/25
価格
2,750円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

国家の命運は金融にあり 高橋是清の生涯 下

『国家の命運は金融にあり 高橋是清の生涯 下』

著者
板谷 敏彦 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
歴史・地理/伝記
ISBN
9784103556329
発売日
2024/04/25
価格
2,750円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

金融の世界で身命を賭した是清を描く超大作評伝

[レビュアー] 出口治明(立命館アジア太平洋大学学長特命補佐)

 是清の波瀾の人生は近代日本の歩みそのものである。まず横浜で外国語を学ぶ国内留学生(仙台藩)の一人に選ばれた。1864年、10歳の夏である。海外渡航の許可がおりて14歳でサンフランシスコの商店に住み込みで働いていたが、急遽帰国する羽目に落ち入った。帰国後、得意の語学で教師の職を得た。銀紙(銀貨と紙幣)相場で投機を始めると、1000円ほどの金が預金口座に入ってきた。警官の月給が6円の時代である。ところが、ほどなくして大損。それで米相場で取り返しにいった。が、やっぱり損をした。

 心を入れ替えて26歳の是清は官僚の途を選ぶ。このときの農商務省での業績ひとつをとっても「特許制度の父」として明治の偉人の一人に数えられていい。わずか4年半のスピード出世で、農商務省書記官に昇進、地位は奏任官最高位である。

 しかし、その評判は幾度も地に堕ちる。1889年、ペルーのカラワクラ銀山へ開発に向かったが、それは掘り尽くされた廃坑だった。10代は芸妓との色恋に溺れる人、20代は相場などをやる人に加え、30代には山で失敗した人のレッテルが彼に貼られることになった。彼は世間で誹謗嘲笑の中にあったが、そこに日本銀行で働いてみないかという声がかかる。彼の人生が金融の世界に紐付けされたのだ。当時としてはもう若くなかった。「建築所事務主任を命ず、年俸1200円」。高い給料である。働いてみたら是清の妙案で日銀本店の工事が安くつき、銀行支配役に取り立てられて西部支店(下関)長に栄転、さらに副総裁となった。すると、在任中に日露戦争が勃発。風雲急を告げる国際情勢の中、彼は戦費を得るため、日本公債を売る旅に出かけ、資金調達を見事成功させた。

 波瀾の人生は続く。1911年、遂に日銀総裁に就任。この時56歳、副総裁在任は結局12年におよんだ。1913年にスタートした山本内閣で大蔵大臣となった。原内閣で首相暗殺後、是清は内閣総理大臣にまで上りつめるが下野、再登板は「金解禁」と満州事変に揺れる1931年。組閣の大命が下ったのは、犬養76歳、是清77歳のじいさんコンビである。組閣当日、金輸出再禁止の大蔵省令が公布即日施行。そんな臨機応変な対応をした犬養も是清も「統帥権の干犯」を金科玉条とする軍部から見れば「君側の奸」。結局、5・15事件で犬養首相が、4年後の2・26事件で是清が凶弾に斃れた。江戸末期、明治大正昭和を駆け抜けた生涯は大日本帝国の興亡を象徴しているといえよう。

新潮社 週刊新潮
2024年5月16日夏端月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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