『ボヘミアンの文化史』
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『ボヘミアンの文化史 パリに生きた作家と芸術家たち』小倉孝誠著
[レビュアー] 小池寿子(美術史家・国学院大教授)
起源、華やぎ 重層的記憶
ボヘミアンというと「ボヘミアン・ラプソディ」の記憶が蘇(よみがえ)る。規範にとらわれず自由で、放浪しつつも哀愁漂う若者たちを描いた映画だ。
ボヘミアンは元来、ボヘミア地方(現在のチェコの一部)の住民や出身者を指していたが、やがて定住地を持たない流浪の民などをそう呼ぶようになった。
複雑な歴史をもつボヘミアンだが、文化史の用語となるのは1830年の七月革命期にパリに集った貧しくも自由にその日暮らしをする文芸の青年たちに対する呼称から始まる。その名を定着させたのはアンリ・ミュルジェール(1822~61年)の小説『ボヘミアン生活の情景』。オペラ「ラ・ボエーム」の典拠となった同小説を基軸に、本書はその起源からロマン主義を経て、とくにパリ最後の華やぎの時代ベルエポックまでを、主に文学の詳細な分析を通して辿(たど)る。
ミュルジェールは、ボヘミアンを二つのカテゴリー「知られざるボヘミアン」と「真のボヘミアン」に分ける。前者は、数は多いがその存在が社会的に認知されず、彼ら自身も無名性を享受して芸術の理想を追求し、思いを一にする仲間としばしば芸術家集団(セナークル)を形成するが、排他的で自らを神話化する傾向がある。一方、「真のボヘミアン」は芸術の使命を自覚し、世界との関わりを認めて社会から孤立することなく創造の道を歩むという。この二つのカテゴリーは1830年から100年にわたる激動の歴史の中で形成されてゆくのである。
70年に勃発した普仏戦争でのフランス大敗以降、印象派から「青の時代」の貧しいピカソ、さらにはシュルレアリスムへの流れもくみ取り、文学と美術との相関も見える。モディリアーニや藤田嗣治など異邦人の生き様、その活動を支えた文学カフェや芸術キャバレー、モンマルトルからカルティエ・ラタン、そしてモンパルナスなど、彼らが徘(はい)徊(かい)し集い醸成したパリの匂いが随所から立ち上る。
「文学的な記憶が重層的に蓄積された」場パリとボヘミアンという存在の魅力を存分に伝えてくれる文化論である。(平凡社、3520円)