門田充宏『ウィンズテイル・テイルズ 封印の繭と運命の標(しるべ)』(集英社文庫)刊行に寄せて わからないけど、わかる。

エッセイ

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ウィンズテイル・テイルズ 封印の繭と運命の標

『ウィンズテイル・テイルズ 封印の繭と運命の標』

著者
門田 充宏 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087446531
発売日
2024/05/21
価格
880円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

門田充宏『ウィンズテイル・テイルズ 封印の繭と運命の標(しるべ)』(集英社文庫)刊行に寄せて わからないけど、わかる。

わからないけど、わかる。

 久しぶりに体調を崩してしまった。
 もう少し若いころだったなら、栄養ドリンクでも飲み、精いっぱい厚着して毛布と布団を積み重ね、ひと晩汗をかけばおおかた治ったものだったが、さすがに近ごろはそういうわけにもいかない。無理をすると却(かえ)って長引きそうだと判断し、ちょうど急ぎの仕事がないのをいいことに、回復するまで一日の大半をベッドで横になって過ごすことにした。
 どうせ休むのなら積んである本を幾らかでも消化したいところだったが、大汗をかくほどではない中途半端な発熱と、耐えられないほどではない頭痛のせいで文字を目で追うのが辛く、残念ながらそういうわけにもいかなかった。次回作のアイデアを練ろうにも、体調のせいか普段でさえ潤沢とは言えない集中力は途絶えがちで、結果、ほとんどの時間はうつらうつらしながら無為に過ごすしかないという有り様となってしまった。
 日ごろの不摂生を晒(さら)すような恥ずかしい話ではあるし、数日キーボードから離れるだけで如実に低下する文章力を考えると大変困った状況である。困った状況ではあるのだが、ただ正直なところを言うと、そんなふうにして過ごした数日は、必ずしも悪いことばかりではなかった。
 今年で十一歳になるトライカラーのキャバリア・キング・チャールズ・スパニエルと、四歳になったブラウンのトイプードル――わが家の愛犬たちが、私をただの無為な時間から救い、ぬくもりと安心とをくれたからだ。
 二匹の犬は、私が何もできずにただベッドに臥(ふ)せっているほとんどの時間、私から離れようとしなかった。熱が上がる前触れとして断続的に寒気が襲ってくると、私の懐に潜り込んで手足を温めてくれた。じわりと熱が上がって額に汗が浮くと、拭うように舐(な)め取ってくれた。そして心細くならないようにだろうか、常に――正確に言うと散歩とご飯の時間を除いてだが――私の傍(そば)に寄り添っていてくれたのだ。
 犬と暮らすようになってから二十年以上になるが、どの犬も家族の誰かが肉体的、あるいは精神的に疲弊していると、どういうわけかすぐに察知してその身を寄せてくれる。励ましの言葉をかけてくれるわけでも病気を治してくれるわけでもないが、まっすぐに視線を向けて傍から離れようとしなくなる。ただそれだけのことが、どれだけの救いになるかわからない。
 今回もそうだ。なかなか熱が下がりきらず、怠(だる)さも抜けないままだった数日間、隣で寝ている二匹の体温とくうくうという小さな寝息が、私の額や頬を舐める舌の熱さが、どれだけ私の心を安らかにしてくれたことか。
 ……などと書いてはみたものの、二匹の本当の意図などわかるはずがないことくらいは私にだってわかっている。私にくっついていたのは、いつもの日中なら変な光る板に向かってデコボコした塊をパチパチ叩いているだけの私がずっと寝ているから思うさま甘えたかっただけかもしれないし、あるいは普段より体温が高いから暖をとるのにちょうどよかったからなのかもしれない。私の汗を舐めて拭ってくれたのも、ちょうどいい塩加減で美味だったという可能性の方が高いのは遺憾ながら認めざるを得ない。
 とは言え、“本当のこと”を突き止める術(すべ)はない。それは相手が犬でなくても同じだ。相手が思いを言葉にしてくれたとしても、それが真実かどうかはわからない。本人が本当の気持ちを語っているつもりだったとしても、そもそも自分の心のうちを完全に言語化することなど不可能だろうから。
 だが、それでも、わかるのだ。わが家の二匹は発熱した私で暖をとり、塩気のある身体を堪能したかもしれないが、同時に普段とは違う様子の私を心配してくれてもいた。それは、人間の言葉で言う“心配”とは少し違うかもしれないが、相手のことを気にかけるという意味では同じことだろう。
 私はそれを確信している。だが、なぜそんなふうに信じられるのかと問われるとうまく答えられない。証明のしようなどないだろうと言われれば全くその通りで、反論の余地はない。しかしそれでも、私は二匹が家族に向ける愛情を全く疑うことができない。犬と人間のあいだにある繋がりは、私には自明のこととしか思えないのだ。言語によらない理解を確信できるのは、お互いが同じ惑星の上で進化してきた、同じ哺乳類だからだろうか。あるいは、二十年の個人的な経験や、人間が犬と暮らすようになってから長い長い時間をかけて築かれてきた信頼関係の物語があるからだろうか。
 だとしたら――と、創作者としての私は、そこで考え始めてしまう。全く別の背景を持つ、発生からして異なる存在が現れたらどうなってしまうだろう、と。高度に知性を発達させた結果、一見すると相互理解ができそうに思えるのに、実際にはお互い決して理解しあえない存在が現れたとしたら――。
 言葉がなくても通じあえる存在と、どうやっても決して理解しあえない存在。昼寝する愛犬をひざに乗せ『ウィンズテイル・テイルズ』を書きながら、私は頭の隅でそんなことをずっと考えていたのだった。

門田充宏
もんでん・みつひろ●作家。
1967年北海道生まれ。2014年「風牙」で第5回創元SF短編賞を受賞、本格的に作家デビュー。著書に『追憶の杜』『記憶翻訳者 いつか光になる』『記憶翻訳者 みなもとに還る』『蒼衣の末姫』等がある。

青春と読書
2024年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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