『ボクシングと大東亜』
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日本・フィリピンのボクシング界から見る もう一つの昭和史
[レビュアー] 立川談四楼(落語家)
二〇〇三年、フィリピンに古希を過ぎた日本人の元ボクサーが招かれた。来賓席では後に六階級を制覇するマニー・パッキャオが笑みをたたえていた。日本からやってきた男の名は金子繁治(かねこしげじ)……。この導入のエピソードだけでも古きボクシングファンはうるっとするのではないか。
金子繁治は、戦後まもなくの時期に東洋フェザー級チャンピオンに長く君臨し、網膜剥離で世界は逃したが、パッキャオ以前のフィリピンの英雄、フラッシュ・エロルデが一度も勝てなかった日本人として知られ、そして金子はキリスト教徒であった。
その知識は私にあったが、フィリピンへの招待が「ガブリエル・“フラッシュ”・エロルデ記念賞」に日本人として初めて選ばれたためであり、キリスト教徒であることが日比の架け橋となっていたことは本書によって知った。フィリピンのボクシングはアメリカの落とし子、日本人ボクサーが殴りっこの段階の時、足を使ったスマートなボクシングを展開し、日本は三十年遅れていたという。
大東亜戦争ではマニラで大規模な市街戦があり、市民に多くの死者が出た。日比ともに貧しい戦後、両国民はボクシングに熱狂した。フィリピンではほとんど国技扱いであり、日比選手間で行われた日本における東洋選手権のほとんどは、五千人の観客動員を記録したという。
戦後補償と日比友好にボクシングが明らかに寄与している。そしてこれはもう一つの昭和史であると深く腑に落ちる。やがてテレビが普及し、ファンが一気に増える。私は金子繁治の現役には間に合っていないが、本書に出てくる矢尾板貞雄や勝又行雄はかすかに覚えている。記憶が鮮明なのはやはりファイティング原田からだ。対ポーン・キングピッチ、対エデル・ジョフレ戦には手に汗握ったものだ。子供だからしかたがないと言えど、その時その前の日比間の激闘のことなどまるで知らなかった。