若さゆえのもどかしさがじりじりと胸焦がす一冊
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
若さとは世界が思うままにならずもどかしいということでもある。
誰もが胸に覚えのある感覚を奇妙に入り組んで先の読めない筋立ての中で表現した作品が、深緑野分の長篇『分かれ道ノストラダムス』だ。
高校一年生の日高あさぎには胸に秘めた思いがあった。二年前に持病のため急逝した中学時代の友人・基(もとき)の三回忌の場で彼が遺した日記を手渡されたことから、燻っていた感情が蘇る。その日記は、奇妙な記述で埋め尽くされていた。交通事故で両親を亡くした基は、それを未然に防げなかったかという可能性を、過去の事実を溯りながら検討していたのだ。死者への思慕と執着は、現在のあさぎにも重なるものだった。
級友の男子・八女(やめ)と話すようになったあさぎは、彼の知り合いである久慈という青年と話したことから、基の生前の行動を調べてみようと思い立つ。自身の中で持て余している感情を清算する手段は、それしか考えつかなかったからだ。必死の思いから起こしたことだったが、彼女の行動は予期せぬ事件を招いてしまう。
作者は十代の視点に徹し、あさぎが巻き込まれていく事態を描く。その年頃ゆえの視野狭窄があり、短慮があり、感情の爆発があるため、読者は幾度もあさぎの肩を叩き、正しい方へと導いてやりたくなるだろう。しかし、できないのだ。先が読めない急流の真っ只中にいるということが若さの本質なのだから。前途に待ち受ける瀑布の気配が感じられ、焦燥が募る。そんなじりじりとした読書が楽しめる一冊だ。
題名の通りノストラダムスがモチーフに使われており、物語の時間も一九九九年七月に合わせられている。今となっては笑い話だが、世界が終わるという根拠のない予言詩が、当時は巨大な恐怖の対象となった。それもまた先の読めない流れの中にいたからで、ノストラダムスとは誰もが抱える不安の象徴に他ならない。そうした黒いものに心が脅かされる事態を描いた小説でもあるのだ。