食べて、食べられて……あの手この手で生き残る虫たちの生き様 『昆虫の惑星 虫たちは今日も地球を回す』試し読み

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写真はイメージです

 わたしたちヒトは、昆虫に包囲されている――
 『昆虫はすごい』(光文社新書)丸山宗利先生監修、ノルウェーから届いた、「知ること」の楽しさに満ちたネイチャー・ノンフィクション『昆虫の惑星 今日も虫たちは地球を回す』。
 虫を苦手な人は多いが、虫の世話になっていない人はひとりもいない。密やかに、ときに騒がしく 4 億 5000 年前から地球を豊かに耕してきた昆虫たち。
 ノルウェーに暮らす女性昆虫学者が、昆虫たちの多様な姿、そして人間とのかかわり――私たちヒトの社会を昆虫たちがどのように作りあげてきたのかを綴ります。
 ムダのない高性能な体の仕組み、幼体から成体へと大胆や変態を遂げる不思議、いささか変わったセックスライフ、食いつ食われつ、ときに互いの利益のために共生する複雑な虫社会。チョコレートを生む昆虫、医学、薬、化粧品に欠かせない昆虫、未来技術へのヒント……。小さくて見逃しがちな昆虫の知られざる“凄さ”に迫った本書から、今回は〈試し読み〉として容赦のない昆虫たちの食事情をお届けします。

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昆虫ライフの“勝ち組”になるコツは、繁殖に成功するまで命を落とさないこと。そのためには餌が必要だ。昆虫の生涯は、いかにして食べ、同時にほかの生きものに食べられずにいるかにかかっている。
多くの昆虫はたがいに捕食しあう。ヒトの世界では、かつてポール・サイモンが「恋人と別れる50の方法」という歌をつくった。昆虫たちは「その程度しか方法がないのか」と言うかもしれない。昆虫たちが(恋の相手をふくめて)自分以外の生きものを食べる方法は、五〇どころではない。昆虫は、卵でも幼虫でも成虫でも食べる。相手の体内に入りこんで内側から食べることもあるし、噛みくだいたり吸いあげたりもする。じつは、いっさい食べないという選択肢もある。幼虫期だけ餌を食べ、成虫になると何も食べなくなる昆虫は意外に多い。
肝心なのは、食うか食われるかという自然界のシンプルかつ容赦ないルールをかいくぐって生きのびることだ。敵の餌にならないために、昆虫たちは隠れて過ごす。周囲の環境に外見を似せ、別の何かのふりもする。過剰なまでの工夫だ。どうせ何かのふりをするなら、危険なものや、食べるのに適さないもののふりをするのが効果的だ。集団にまぎれて生きのびることもあるし、仲間と協力することもある。わが身を守りつつ餌を手に入れようとする昆虫たちの戦略の多様さはまさに驚異的で、進化の縮図ともいえる。その一端を紹介しよう。

ダーウィンの煩悶

まず寄生虫の話から始めよう。昆虫には「捕食寄生者」(いわゆる寄生虫)と呼ばれ、最終的に宿主を死に至らしめるものが多い。とりつかれた宿主は、体の内側からむさぼり食われていく。捕食寄生者の幼虫は、餌となるほかの生きものの体内で孵化し、じわじわとその内臓を食べていく。ただし命にかかわる器官は最後まで残しておく。当然ながら、死肉より新鮮な肉がいいからだ。幼虫が新鮮なごちそうを食べつくし、成虫ライフへ移行する準備が整ったタイミングで、宿主はたいてい死ぬ。
寄生虫の生態があきらかになったのは一八〇〇年代だが、当時の自然史学者や神学者は、ひじょうに複雑な思いを抱いただろう。善なる神に創られた生命が、このうえなく残忍な行動に走るのだから。ダーウィンもずいぶん悩んだようで、一八六〇年にアメリカ人の植物学者エイサ・グレイに宛てた手紙にこう記している。
「慈悲深き全能の神が、生きたイモムシの体内で食事をするよう明確な意図をもってヒメバチを創られたとは、到底思えない」
ダーウィンには申し訳ないが、実際にはもっと残酷なことをする昆虫がたくさんいる。

ゾンビ・ベビーシッターと吸魂鬼バチ

緑色の眼をした美しいテントウハラボソコマユバチは「寄生バチ」だ。雌は産卵管をテントウムシに差しこんで、卵を産む。孵化した幼虫は二〇日かけてテントウムシの内臓を食べていく。そのあと、哀れな宿主がまだ生きているうちに体の外に這い出し、テントウムシの脚のあたりで小さな繭を紡いで蛹になる。
この時点で宿主のテントウムシは動きまわるのをやめ、寄生者であるハチのためにその場で“生きた盾”と化す。寄生バチの蛹を脅かすものが近づいてきたときだけ、びくりと身をふるわせて、敵を追いはらう。そんなことが一週間続いたあと、成虫となった寄生バチは繭を破って出てきて飛び去る。残されたテントウムシなど知るものか、というわけだ。
雌がテントウムシの体内に卵を産みつけてから、孵化して幼虫が成長しテントウムシの体外に這い出すまで約二〇日ある。雌の寄生バチは、いったいどうやってテントウムシを“ゾンビ・ベビーシッター”としてあやつっているのだろう。
この寄生バチの雌は、テントウムシに産卵管を差しこむとき、卵のほかにウイルスを注入しているのだ。ウイルスはテントウムシの脳で増殖し、時限式爆弾のように、幼虫が外に這い出す瞬間に効力を発揮してテントウムシの体の自由を奪う。テントウムシの脳を乗っとって、わが身をベビーフードとして提供させつつ、ベビーシッターとしても奉仕させるというわけだ。
この話に一つでも救いがあるとしたら、かろうじて生きのびるテントウムシも少しはいるということだろうか。

あやつられるゴキブリはもっと運が悪い。「ハリー・ポッター」シリーズには、空を飛びながら人間の魂を吸いとる黒い怪物、吸魂鬼(ディメンター)が登場する。数年前にタイで発見された新種のセナガアナバチは、それにちなんでアンプレックス・ディメンターという学名を授けられた。このハチの雌は標的のゴキブリの胸に産卵管を差しこみ、ゴキブリの脚を数分にわたって麻痺させる。高度な脳外科手術をおこなうための麻酔にも似ている。ゴキブリがおとなしくなると、ハチはすかさずその頭に針を刺し、驚くべき正確さで脳の二カ所に神経毒を注入する。これでゴキブリは動作を始めるための信号がブロックされ、もう自分では動けない。
“吸魂鬼(ディメンター)バチ”は、動けないゴキブリの触覚に咬みつき、産卵場所の穴へ誘導する(このハチが運ぶには大きすぎるのだ)。あたかもリードをつけた犬のようにゴキブリを連れて穴にたどりつくと、ハチは卵を一つ産んでゴキブリの脚に固定する。それから小石で穴の入口をふさぎ、自分は姿を消す。やがて孵化した幼虫は、ゴキブリの脚から体液を吸い、体内にもぐりこんで腸をむさぼり食い、一カ月ほど栄養をつけながら過ごす。やがてゴキブリの体内でハチの幼虫が蛹になると、宿主のゴキブリはまもなく息絶える。ダーウィンがこのことを知らなくてさいわいだ。残忍としかいいようがない。だがもともと進化というのは、愛と思いやりを広めるための現象ではないからしかたない。

自然界のデリバリーサービス

金曜の夕方、一週間の疲れを引きずりながら買いものに行って週末用の食材を買いそろえるのは、わたしにとって苦行だ。そんなとき心から昆虫になりたいと思う。オーストラリアに生息する大きくつやつやした緑色のキリギリスなら、歌をうたうだけで餌が自分のところまで飛んできてくれるのに。
キリギリスの歌は、ロミオがバルコニー下からジュリエットに歌うセレナーデに似ている。
この種のキリギリスは、交尾を求める雌のセミが出す音を真似ることで雄のセミをおびき寄せるのだ。雌の歌だと思ってやってきた雄は、目当ての雌の代わりに、空腹の大きな敵と対面する羽目になる。わが身を餌としてデリバリーしてしまった、と気づいてももう遅い。

このように捕食者や寄生虫が、別の生きもののシグナルを真似て相手をだまし討ちにすることを「攻撃的擬態」という。ホタルの一種フォトゥリス・ベルシコロールの雌は、一一種類もの発光パターンを使い分ける。ニセの光で自分の種以外のホタルの雄をおびき寄せ、だまされてやってきた相手を食べてしまう。

ナゲナワグモは、多種のガが使う複雑なにおいのシグナルをマスターしている。投げ縄による狩りは成功率が低いので、いわば保険をかけておくのかもしれない。ナゲナワグモは先端にねばついた塊のついた糸を縒ったものを、名前の通り投げ縄のようにふりまわして通りすがりのガを狙う。道具は、厳密にいうと「両端に重りがついた縄」で、アルゼンチンのガウチョが使うボーラに似ている。捕まえたガを糸で丁寧にくるみ、夜が明けてからゆっくり味わう。けれど、ナゲナワグモが暗がりで縄をふりまわしているときにガが通りかかる確率はかぎりなくゼロに近いのではないだろうか? だから、ガのにおいを装って餌をおびき寄せているのだ。

アンヌ・スヴェルトルップ=ティーゲソン
ノルウェー生命科学大学、保全生物学教授。ノルウェー自然科学研究所の科学顧問もつとめる。森林の生物多様性、昆虫の生態学についての講演、著作多数。本書『昆虫の惑星 虫たちは今日も地球を回す』は22ヶ国以上で出版されている。

辰巳出版
2022年5月6日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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