【特別公開】今世紀最大にぶっ飛んだ一冊!『世界金玉考』の面白過ぎる冒頭を試し読み

試し読み

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 ああ、金玉よ。どうしてあなたは金玉なの――。

 そんな疑問にも真剣に向き合った一冊である。雨の日も風の日も、嵐の日だって金玉について考え続けたのは、『にゃんこ四字熟語辞典』シリーズが大ヒット中の、元・文藝春秋社副社長の西川清史氏だ。

 金玉の定義からその由来、各国での呼び名、寒い時に縮み上がるワケ、江戸時代にあった「陰嚢蹴りの刑」、歴史に燦然と輝く英傑に降りかかった金玉の悲劇、文豪と金玉などなど、紹介しきれぬほどの金玉雑学が詰まった本書は、金玉研究の最前線を行くものだろう(他に金玉研究があればの話だが)。
 
 今回、特別に冒頭部分の公開を許可して下さった大きなタマの持ち主である著者に敬意を払いつつ、めくるめく金玉ワールドへ足を踏み入れてみよう。

はじめに

ところで、あなたはキンタマについて真剣に考えたことがあるだろうか? その来し方行く末について思いを馳せたことがあるだろうか?
おそらくはないに違いない。全人類の半数が所持しているにもかかわらず、これほど等閑にふされてブラブラしている臓器はないのではないか。悲しいほどの日陰者である。
そんなことでいいのか? いいはずがないではないか! キンタマと比べれば、あの肛門でさえ花形に思えてくるというものである。天下無双の日陰者のキンタマをいささかでもエンカレッジしようと、微力ながら一冊の本を書いてみようと思い立った。
しかしながら、キンタマとがっぷり四つに組んで一冊の本を書いたら、いったいどういうものができあがるのか、皆目見当がつかなかった。ただ、これまでお目にかかったことのないような面白い本になる予感だけはあった。類書はないものかと捜してみたが、これといった物は見つからない。つまり、これまで、誰もキンタマと本気で四つに組もうとはしてこなかったのだ。
確かにまあ、四つに組みにくい相手ではある。
だが、無事に完成すれば、本邦初の「金玉本」の誕生となる。
「初」の言葉には魔力がある。取り組む価値は大いにあるかも、と思いはしたが、はてさて、どこから手をつけたらいいものか、先人が引いてくれた海図があるわけではない。しかも私はキンタマのプロフェッショナルでもない。
うーむ、こうなったら、無手勝流で闇雲に進むしかあるまい、と覚悟を決めた。
生物学的、言語学的、医学的、文学的、歴史的、芸術的アプローチを全部試みてやろうと、思い立ったのである。思うことは易しい。思えばいいだけなのだから。
しかし、これを実行するのは容易なことではなかった。
たとえば、一口に文学的アプローチとはいうものの、その一テーマでしかない正岡子規について、一カ月間関連書を読み漁り、読み込んでいるうちに、子規がそこで生を終えた根岸の家をどうしてもこの目で見たくなる。上野公園を抜けて「根岸の里の侘び住まい」を二度も訪れるという始末。壮大な計画は遅々として進まないのだった。
言語学的アプローチでは、ミシェル・フーコーの『言葉と物』の向こうをはって、『言葉とキンタマ』を書いてやろうと(もちろん冗談で言ってます)鼻息荒く、チェコ人、インド人、ネパール人、フィンランド人、マレーシア人、中国人、ドイツ人の七人(全員初対面)に会いに行き、「お国の言葉ではキンタマは何と呼ぶのですか?」と単刀直入に聞いて回ることになった。
始めると病みつきになるほど楽しい。楽しいことは続けたくなる。時間配分が偏頗になりそうだった。
医学的アプローチでは性分化疾患にことのほか関心を抱いてしまって知人の医師を困らせ、性同一性障害に悩む人の話を聞きたくなって、本厚木のチーママに会いに出かけることにもなった。
歴史的アプローチでは、多くの囚人がキンタマを蹴られて殺された小伝馬町の牢屋敷跡をやはりこの目で見たくなって足を運ばずにはいられなくなった。ここは一八五九年、吉田松陰が死罪になった場所でもあり、かねてから訪れたい場所だったのだ。
一事が万事この調子で、机の前に座っているだけでは満足できなくなってくるのは、おそらく私の前職が雑誌編集者だったからではないかという気がする。
ある理路をたどって高邁なひとつの結論に至る、というよりも、ある事象に様々な方向から光を当ててバラエティに富んだカラフルな誌面を作ろうとするのが雑誌編集者の本能だからである。その本能に従って、日陰者のキンタマに色々な角度から鮮やかな光を当ててみようというのが、本書の仕掛けである。

ところで、実は、私は雑誌編集者だった時代に、キンタマについて文章を書いたことがあった。それは、今から三十六年前のことで、仕事での成り行き上、書かざるを得なくなったからだった。だが、この一文がなければ、本書を書いてみようという気にはならなかったかもしれない。一度キンタマに本気で向き合ったことがあったので、何とか書き上げることができるだろうと思えたのである。
当時私は、文藝春秋の写真雑誌『エンマ』の編集者で、締め切りがやってくるとデスクから「この写真の記事を書いてくれ」と指示を受け、煙草を何本もふかしながら呻吟し、朝までかかって何事かを書いたりしていた。
デスクから手渡されたのは、一九八六年六月一日、西武の一塁手、清原和博が、南海・門田博光の打球を股間に当てて悶絶している写真と、阪急のアニマル投手がユニフォームの社会の窓を閉め忘れてプレーしていた写真だった。
ちなみにそのデスクとは、現在、『月刊Hanada』の編集長を務めている花田紀凱氏であり、編集部の同僚には、後にノンフィクションライターとなる柳澤健君や勝谷誠彦君がいて毎号ブリブリ言わせていた。活気溢れる、青春の思い出の編集部だった。
そのときに書いた文章は、『エンマ』の一九八六年六月二十五日号に「阪急アニマル 西武清原に見る存在論的キンタマの考察」というタイトルで掲載された。こんな記事である。

キンタマは悲しい。
生まれた時から、引っぱられたり握られたりしながらも、ただただ無病息災を祈りつつ、じっとブラさがっているばかりなのである。いったい、日蔭者としてキンタマの右に出るものがあるかと問いたい。
社会の窓が開いてるのも知らずに吠えながら登板した阪急の怪獣アニマルにしてからが、何か忌わしいものでもあるかのようにそそくさと格納してしまう始末である(略)。
女性と交わす例のメインイベントでも、お隣さんはハリキってるのに、キンタマは協力すれど介入せず。パーティ会場の入口まで行って、中の華やかな催し物をブラブラと傍観するようなむなしさである。
だいたい、キンタマにまつわることわざにもロクなものが見うけられない。
〈キンタマが縮み上がる〉
〈キンタマの垢ほどもない〉
〈キンタマを質に置く〉……etc
どいつもこいつも情けなーいイメージばかりではないか。ま、中には、
〈キンタマの皺のばし〉
というホッと息つくのもなくはないが、しかしなんかダラーッとして、ことわざとしての勢いというか、品格に欠けるうらみがあるような気がしてならない。なくてはならぬものなのに、格別の温情にあずかることもなく、時にはその存在すら忘れさられてしまうオー・ミゼラブル・キンタマ!
コーガンの美少年西武の清原がその存在を痛切に確認したのは、6月1日の南海戦で、門田の一撃を股間でキャッチした時だった(略)。
「んもー、こんな痛えの初めてだよ。下からズーンと突き上げられる感じ。タマりませんよ」
神も仏も大黒様もあるもんかという玉砕しちゃったようなあの激痛……。
キンタマがその生涯を通じてなめると悲哀、お嬢さまには永久にわかるまい。

 キンタマは悲しからずや
 右の脚左の脚にも染まず漂う

さあ、前置きはこれくらいにして、そろそろ、目くるめくキンタマの世界にあなたをお連れしよう。東奔西走、七転八倒の果実をどうぞ、ごゆるりと味わっていただきたい。

続きは書籍でお楽しみください

2022年12月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです
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