疾走感と予測できない展開! ページを繰る手が止まらない! 伊坂幸太郎『グラスホッパー』試し読み

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妻を殺した男への復讐を目論む元教師「鈴木」。自殺専門の殺し屋「鯨」。ナイフ使いの天才「蝉」。それぞれの思惑を胸に「押し屋」と呼ばれる殺し屋を追う。3人が交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。ジャンル分類不可能の最強エンタテインメント小説!

最新単行本『777 トリプルセブン』が2023年9月21日に発売することが決定し話題の〈殺し屋シリーズ〉。その原点となる本書より、冒頭部分を特別公開いたします。

 ***

街を眺めながら鈴木(すずき)は、昆虫のことを考えた。夜だというのに、街は明るく、騒がしい。派手なネオンや街灯が照り、どこを眺めても人ばかりだった。けばけばしい色をした昆虫がうごめいているようにしか見えない。不気味さを感じて鈴木は、大学の教授の言葉を思い出した。十年以上前、学生の頃に聞いた言葉だ。

「これだけ個体と個体が接近して、生活する動物は珍しいね。人間というのは哺乳類(ほにゅうるい)じゃなくて、むしろ虫に近いんだよ」とその教授は誇らしげに言い切った。「蟻とか、バッタとかに近いんだ」

「ペンギンが密集して生活しているのを、写真で見たことがあります。ペンギンも虫ですか」と質問をしたのは、鈴木だった。悪気はそれほどなかった。

 教授は真っ赤な顔で、「ペンギンのことは忘れろ」と吐き捨てた。惚(ほ)れ惚(ぼ)れするくらいに大人げがなく、いっそのことああいう大人になりたい、と思ったのを思い出す。

 つづけて不意に、二年前に亡くなった妻のことが頭を過(よ)ぎった。彼女は、その話がとても好きだったからだ。

「そういう時は、『先生の言う通り』って従ってれば、問題は起きないのに」とよく言った。

 確かに彼女は、「君の言う通りだ」と同意されるとどんな時も、機嫌が良かった。

「何してんの、早く中に押し込んでよ」

後ろから比与子(ひよこ)に急(せ)かされ、鈴木ははっとする。頭を振り、亡き妻の記憶を払い落とし、目の前の若者の身体を奥へと押した。セダンの後部座席の中に倒していく。金髪で、長身の男だ。眠っている。黒の革ジャンパーを羽織り、その下には黒のシャツが見えた。黒地に、小さな虫の模様が入っている。柄が悪い。シャツの柄も、人の柄も、どちらも悪い。男の向こう側には、すでに女が乗っている。そちらも鈴木が四苦八苦して、押し込んだ。長い黒髪の、黄色いコートを着た、二十代前半の女だ。目を閉じて口を小さく開けたまま、背もたれに寄りかかり、やはり寝息を立てている。

 若者の足を車内に入れ込んで、ドアを閉めた。

「乗って」比与子が言った。鈴木は助手席のドアを開け、中に入る。

伊坂 幸太郎(いさか こうたろう)
1971年千葉県生まれ。2000年『オーデュボンの祈り』で新潮ミステリー倶楽部賞を受賞しデビュー。04年『アヒルと鴨のコインロッカー』で吉川英治文学新人賞、「死神の精度」で日本推理作家協会賞短編部門、08年『ゴールデンスランバー』で山本周五郎賞と本屋大賞を、2014年『マリアビートル』が2014大学読書人大賞を受賞。2017年『AX アックス』で静岡書店大賞(小説部門)、2020年『逆ソクラテス』で柴田錬三郎賞を受賞。また、翻訳された『マリアビートル』は2022年の英国推理作家協会賞翻訳部門の最終候補にノミネート。

KADOKAWA カドブン
2023年7月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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