僕の人生には事件が起きない
2023/05/12

スマホが機械式駐車場のスキマに落下…サポートセンターに電話できない絶望的な状況で起きた奇跡の救出劇 ハライチ岩井が語る

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 お笑い芸人・ハライチの岩井勇気による連載エッセイがパワーアップして再始動!「人生には事件なんて起きないほうがいい」と思っていたはずが……独自の視点で日常に潜むちょっとした違和感を綴ります。今回のテーマは「旅行の前日」です。

 ***

 週末、友達と宮崎県へ旅行に行くことになった。土日が休みだったので、金曜の仕事終わりの夕方発の飛行機のチケットを取り、日曜の夜に帰ってくる2泊3日の予定を組んだ。

 目的は最近始めたインラインスケートである。靴底にタイヤが縦に4つ付いたシューズで地面を滑るスポーツなのだが、宮崎にいいスケートパークがあるらしく、旅行がてら友達とそこに滑りに行くことにしたのだった。

 週末の旅行に心躍らせながら仕事に明け暮れていたその前日、木曜のことである。夜11時頃仕事が終わり、いつものように車を運転して家まで帰った。そして家のマンションにある駐車場に車を停めたのだ。駐車場は立体機械式で、車が上下に4台停められるようになっており、地上に1台、地下に3台収容される作りである。

 いつものようにバックで駐車場の中へ入れ、エンジンを切って車から出ようとした、その時。僕の右ポケットに浅く入れていた携帯電話が、車を降りた勢いで飛び出し、落ちた。そして携帯電話はなんと、そのまま駐車場の床の5cmほど開いた隙間にスルッと入ってしまったのだ。さらに次の瞬間、10mほど下でカランカラン! という音がした。

 ――終わった。終わった音である。僕は叫ぶというよりは絶句した。ものの1秒半の出来事だが、すぐには受け止めきれない。

 それから、携帯電話の心配より、面倒臭いという感情が一気に押し寄せた。床の隙間に入ってしまった携帯電話は、音から察するに恐らく車が収容される地下の一番下まで落ちてしまったのだろう。冷静に考えれば考えるほど絶望を感じる。

 そんな現実から逃れようと、落ちたのは携帯じゃなくて他の硬い何か、と自分に言い聞かせ、荷物や車の中に携帯電話が無いか探してみた。だが、やはり見つからず、床の隙間に携帯電話が落ちた事実を思い知らされたのだった。

 どうすんだよ、と、口が勝手に呟いたような気がした。頭では、カランカラン! と隙間のはるか下で遠く鳴り渡った音が反響している。

 小学生の頃、地元の埼玉にある西貝塚環境センターというゴミ処理センターに、母親が大きめのゴミを捨てにいくのに付き合わされたことがあった。施設内には、とてつもなく大きいゴミの谷のような場所があり、そこは蟻地獄のようにすり鉢状になっていて、全体がオレンジのライトで怪しく照らされていた。

 母親がその谷の縁に車を停め、係員に「持ってきたゴミを投げ入れてください」と言われ、勢いよく投げ入れる。それを見ていて、もしこの谷底に落ちてしまったら死んでしまうだろう、あんなに深い場所に落ちたらもう上がってくる術なんてあるわけがない、と、目の前のゴミの谷を地獄のように感じていた。

 僕は、携帯電話が機械式の駐車場の隙間に入ってしまったこの状況で、その西貝塚環境センターの記憶が蘇り、あの地獄の谷底に落としたのと同じだ、と思った。今、どこかから僕の携帯に電話をかけたら、地獄の鬼と繋がるんじゃないか、その時、鬼は「この電話は貴様のものか? 地獄に落ちていたから拾ってやったぞ。でも返さないぞ! 返して欲しくば地獄まで来い! がっはっは!」などと言うのだろう。鬼のような鬼である。

 その後、僕は心を落ち着かせようと駐車場の外へ行き、一旦操作盤を操作して車を収容した。落ち着いてみると、もしかしたら下の駐車パネルを上まで上げてみたら、どこかに引っかかっているかもしれない、という考えに辿り着いた。操作盤で駐車パネルを引き上げて全て確認してみたが、やはり携帯電話はどこにもない。

 ここまで理解した時、僕はもう一度絶望に引き戻される事実を思い出す。明日宮崎旅行じゃん! 友達との待ち合わせ時間や集合場所はまだ決めていない。連絡手段の無い旅行は恐ろしい。それどころか、飛行機のチケットはインターネットで取っており、予約情報が全て携帯電話の中に入っているので、飛行機に乗ることさえできない。

 夜中12時過ぎ、もはや僕を追い込む手数が多すぎて把握しきれなかった。確実なことは、どうやら機械に飲み込まれた携帯電話の救出は、僕にはできないらしいということだ。

 しかし、ふと目を落とした操作盤の下の方に、機械式駐車場のメーカーの名前が書いてあるのを見つけた。もしかしたら、この会社名をインターネットで検索すればサポートセンターの情報が出てくるんじゃないか。僕はそう思ったと同時に、インターネットで検索しようとした。そこで気付いた。いや、携帯ないじゃん! 調べようにも携帯電話がない。出鼻は挫かれた。

 だが、すぐに次の案が思い浮かんだのだ。家にはパソコンがある。早速マンションの部屋に入り、パソコンを開いて会社名を調べた。すると、すぐにホームページとサポートセンターの情報が出てきた。サポートセンターのページには24時間受付可能な電話番号が書いてある。僕は迷わず電話をかけようとした。そこで気付いた。いや、携帯ないじゃん! 盲点だった。検索はパソコンでできるが、電話にかけるのは携帯電話なのだ。困った。

 こうなったら友達の誰かに連絡してサポートセンターに電話してもらうしかない。そこで僕は気付いた。いや、携帯ないじゃん! 友達に連絡をとる術がない。携帯電話のない現代人は無力。翼はもがれ、外界に飛べなくなっていた。

 僕はひとまずリビングのこたつの電源を入れ、肩まで入った。一通り案を出し尽くし、全てを綺麗に折られた僕は、せめて体を温めるしかない。こたつがじわじわと温まってきてウトウトしかけた時、はっ! と思いついた。それはリビングのソファーの下にある小物入れの中の携帯電話のことである。

 これは僕が以前、携帯電話を2台持っていた時に使っていたもので、旧型の携帯電話だということもあって、当時かなり安い料金で契約していたのだ。僕はこの携帯電話を解約した記憶がない。もしかしたら安すぎる料金にかまけて、解約するのを忘れていたかもしれない。

 僕は、ソファーの下の小物入れを探り携帯電話を見つけ出した。折りたたみ式の懐かしさ漂うその携帯電話は電池の残量が無く、電源が入らない。小物入れに一緒に入っていた充電器に繋ぎ、充電した。

 しばらくして電源スイッチを押してみると、携帯電話は起動した。そして、なんと電波のマークが立っているではないか。解約していなかったのだ。その時の僕は、料金を払い続けていた損失感より、手繰り寄せた細い糸しか感じ取っていなかった。

 サポートセンターに電話をかけるとすぐに繋がった。事情を説明して対応策を聞くと、自分で回収するのは不可能とのことで、作業員を向かわせると言う。僕は一瞬見えた光に飛びつくように、費用や所要時間も聞かずに派遣してもらうことにした。少しでもこの状況が良くなるなら、ある程度のリスクも飲み込む覚悟であった。なぜなら明日は旅行に行くからである。

 電話を切り、作業員を待った。その時点で深夜12時半を回っており、とても旅行前夜の過ごし方とは思えないが、こたつに入りながら、ただただ壁を見て時を待った。30分後、ピンポーンと家のインターホンが鳴る。深夜の来客は、来ることが分かっていても怖い。

 派遣されてきたのは40代くらいの男性作業員で、僕が玄関先で事情を説明するとすぐに「では作業に入りますが、少し時間がかかりますので家の中でお待ちください」と言い、駐車場に向かっていった。僕は再びリビングに戻り、こたつに入って、駐車場の地下の状況を想像しながら待った。

 それから40分程が経った時、またピンポーンとインターホンが鳴る。そしてインターホン越しに作業員が「作業終了しましたー」と声を発した。作業終了ということは、携帯電話は回収できたということだろうか。玄関を開けると、先ほどの男性作業員が「こちらでよろしいでしょうか」と右手に持った携帯電話を差し出してきた。それは紛れもなく僕の携帯電話であった。

 勝った!! 何に勝ったのかはわからないが、その時、僕はそう思った。飛行機にも乗れるし、携帯電話のある旅行と無い旅行では全然違う。携帯電話のある旅行に行く未来を取り戻したのだ。

「一番下の駐車パネルより下に落ちておりました」と説明する作業員に厚めにお礼を言う。「料金はいくらですか?」と聞くと「落とし物対応なので無料になります」と告げられた。なんてラッキーなんだ。スタート地点から何もプラスにはなっていないのに、そう感じてしまう。

 そして作業員は颯爽と帰っていき、無事、僕の携帯は回収された。リビングに戻った僕は興奮がやっと冷めた頃、10m落下した携帯電話が全くの無傷だったことに気付き、全てが夢だったんじゃないかというような不思議な気持ちになったのだった。

 次の日の夕方から旅行に行った。その頃にはもう前日の夜のことなど、とうに忘れているのだった。

(ハライチ岩井勇気さんのエッセイの連載は隔月第2金曜日にブックバンで公開。岩井さんが日常に潜むちょっとした違和感を綴ります)

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岩井勇気(いわい・ゆうき)
1986年埼玉県生まれ。幼稚園からの幼馴染だった澤部佑と「ハライチ」を結成、2006年にデビュー。すぐに注目を浴びる。ボケ担当でネタも作っている。アニメと猫が大好き。特技はピアノ。ベストセラーになったデビューエッセイ集『僕の人生には事件が起きない」に続く、『どうやら僕の日常生活はまちがっている』は2冊目の著書になる。

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