僕の人生には事件が起きない
2023/07/14

「必殺技を出すかのような手つきで暴れさせてくる」「ツーッと何か生温かいものが」足の指を握り締めて必死に耐えた体験 ハライチ岩井が語る

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イラスト:岩井勇気(ハライチ)

お笑い芸人・ハライチの岩井勇気による連載エッセイがパワーアップして再始動!「人生には事件なんて起きないほうがいい」と思っていたはずが……独自の視点で日常に潜むちょっとした違和感を綴ります。今回のテーマは「初めての鍼」です。

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 割と体の調子が悪くても放って置いてしまう。大体の体調不良は根性で治る、と思っているところが未だにある。葛根湯が万能薬で、根性で抑えきれない不調は葛根湯さえ飲めば完全回復すると信じている。

 だが、それで失敗することもある。高校生の頃に自転車で転んで足首が少し抉れたのだが、治る治る、と思い、絆創膏を貼って自然治癒に任せていたら1週間後には足首の皮膚が壊死しており、軽い手術をする羽目になった。

 そういう場合、すぐに病院で適切な処置をしてもらうべきなのは分かっているのだが、気持ちを病院に向かわせてしまうと、その気持ちで食い止めていた症状が悪化するような気がしてならないのだ。
 
 
 
 1ヶ月ほど前から首に違和感を覚えていた。3週間も放置している間、その違和感は確実な痛みとなって僕を悩ませるようになった。流行りのストレートネックというやつかもしれないし、使っている枕が合っていないのかもしれないが、原因を探る訳でもなく、時間が解決してくれると踏んで痛みに耐えながらもうしばらく過ごしていた。しかし痛みは一向に治まらず、葛根湯を飲んでも効果は感じられない。

 ふと首の痛みのことを親しい友達に話してみると「鍼(はり)がいいよ。首の痛みなんて鍼灸院行ったらすぐ治るから」と教えられた。ものは試しと、友達が行ったことのある鍼灸院を教えてもらい、電話をかけて3日後に予約を入れた。

 僕は鍼灸院に行くのが初めてで、体に鍼を刺されるということ以外の知識が無いので、予約の日が近づくにつれて少しずつ怖くなってきていた。当たり前だが、体に鍼を刺すのは痛くないのか? という不安が拭いきれない。

 予約日の前日、職場で会った人に鍼治療に行くという話をしてみた。その人は鍼治療の経験者で、不安がっている僕を見て「いや、全然痛くないよ。むしろ刺された場所の周辺が徐々に温かくなってきて気持ちいいから」と、鼻で笑いながら答えた。どうやら鍼治療に恐怖する人の気持ちは、とうの昔に忘れてしまっているらしい。しかし、嘲笑われたことで僕の不安もどこか和らぎ、鍼治療へ行く決意が固まった。

 当日、午前中に鍼灸院がある住所までやってきた。着いた場所はマンションで、中の一室を使って施術をやっているらしい。住所の階までエレベーターで上がると、その階の扉の一つに小さく鍼灸院の名前の張り紙があった。しっかりとした店舗を構えていて、ガラス張りで外から受付が見えるような作りであれば安心できるが、マンションの一室でひっそりと人知れず鍼を刺されるような状況を想像すると、扉の前で昨日払拭した不安が蘇ってきた。

 予約時間が迫っていることに背中を押され、恐る恐る扉を開けてみる。その先はワンルームで、真ん中に施術用のベッドと、奥に40代くらいの鍼灸師と見られる女性がおり「こんにちはー」と、こちらに向かって会釈した。「どうも」と会釈を返して予約名を告げると、入口付近のソファーに案内され、鍼灸師が机の上の問診票を書くように促した。

 言われた通り問診票を記入する。設置されたスピーカーから穏やかなボサノバが流れており、そこだけはリラックスできそうな空間を演出している。書いている途中で鍼灸師が「鍼、初めてですか?」と尋ねてきたので「初めてです」と答えた。

 すると鍼灸師は少し強めの口調で「うちの鍼、普通の鍼と違って何本も刺すんですけど、大丈夫ですかー?」と言ったのだ。

 何本も!? どれだけ刺してもせいぜい20本前後じゃないのか!? と、焦りつつも「何本くらいなんですか?」聞き返す。鍼灸師は「あー、大体100本くらいですね」と答えた。

 ひゃ、100本!? どうなってるんだ!? イメージしていた鍼治療ではない! というか100本も刺されたら人の体はどうなっちゃうんだ!? 混乱しつつも、怯んでいる態度を鍼灸師に見せるのは恥ずかしい、という思考が働き「そうなんですねー。大丈夫っす大丈夫っす」と、あたかも想定内だったかのような返事をしたのだった。

 鍼灸師は、そんなことも見透かしているかのような調子で「了解ですー。問診票預かりますね」と、書いた問診票を手に取り読み始める。その後、症状のことを2、3質問され「じゃー、上半身の服脱いで、ベッドにうつ伏せで寝てください」と僕を案内した。

 言われるがままにベッドに横になると「早速刺していきますねー」と施術がはじまった。首の痛みには、やはり首に鍼を刺していくようで、うなじの真ん中あたりに鍼を当て、指で軽くトントンと叩いて鍼を刺す。続いて次の鍼を手に取り、最初に刺した鍼の近くに当て、指で軽くトントンと叩いて刺していく。そして新しい鍼をまた首に当て、トントンと叩いて刺した。

 その時、僕は3本の鍼が刺さっているのをはっきりと首で感じながら思ったのだ。普通に痛てぇー……。普通に痛いのだ。前日に全然痛くないと言われていた鍼治療のはずが、3本刺された時点で3本とも刺される時にしっかり痛みを感じていた。鍼で刺されるザクッとした痛みもあれば、刺された後の鍼治療特有のような鈍痛も堪らなく痛い。刺される度にビクッとなってしまい、足の指を握り締めて必死に耐える。

 ちょっと待て、これが後100本近く続くのか!? 4本目の鍼の痛みに耐えながら、僕はそれに気付いて絶望した。なんて鍼灸院に来てしまったのだ。そんな後悔も虚しく、首に鍼がどんどん刺されていく。

 恐ろしいのが、刺された鍼の痛みに耐え切る前に次の鍼が刺されてしまうことで、次の鍼への覚悟が出来上がらない状態で刺され、心が折られていくのだ。前の痛みが少しずつ残ったままどんどん上乗せされ、精神のコップから水が溢れそうになる。室内に流れている癒しのボサノバなど耳にも入らず、頭の中ではデスメタルが流れているようだった。

 しばらく刺され続け、いよいよ何本くらい刺したのかさえ数えられなくなり、首に相当数の鍼がジャラジャラと刺さっている感触を得た時、鍼灸師が「これで半分ですねー」と言った。

 もう50本も首に鍼が刺さっているのか。もはや治療なのかさえ分からなくなってくる。え!? というよりさらにこれと同じ量刺すの!? と、未だ折り返し地点だという恐ろしさに気付いてしまう。そうこうしている内に、鍼灸師から驚きの「ここから刺し方変えていきますねー」という一言が飛び出た。

 刺し方を変える!? まだ何かあるのか!? と思ったのも束の間、鍼灸師は今まで指でトントンと叩いて刺していた鍼を、トントントンと一突き多く刺し込み、そのまま刺さっている鍼を持って上下左右にグリグリグリ! と動かした。

 僕の首には激痛が走り、思わず両腕でベッドの端を強く締めつける。体感ではうなじに刺された鍼が前の喉にまで突き抜けてしまったと錯覚する程の痛みであった。一体何やってんの!? という疑問と怒りと恐怖が入り混じった、脳内の天地がひっくり返るような感覚に襲われる。

 一突き多く刺し込むまでは分からなくもない。しかしその鍼を持ち、まるでゲームセンターにある筐体の格闘ゲームのコントローラーのスティックをグリグリ入力して必殺技を出すかのような手つきで暴れさせてくる。これは治療なのか。もしかして耐える僕をギブアップさせようと奇行に走っているんじゃないだろうか。

 次、また次、と同じ刺し方で鍼が増えていく。首に刺す隙間がなくなったのかどんどん頭の方に上って鍼を刺していく。頭の方はさらに痛く、もはや隠し切れないほど全身を強張らせてベッドの端を掴み、痛みに耐えていた、その時であった。

 襟足辺りから首にかけて下にツーッと何か生温かいものが滴った。鍼灸師が肩にかけていたタオルでそれを拭う。拭いたタオルを目で追うと、なんとそれは血であった。激しい鍼により流血していたのだ。

 犯人を目撃したような僕の目線に気づいたのか、鍼灸師が「うちの鍼は他よりハードなんですよ」と言い出した。こちらがまだ何も聞いていないのに自ら喋り始める、犯人の行動である。「でもね……」と、鍼灸師は続け「山火事起きてるところに、じょうろで水かけてもしょうがないでしょ」と犯行を正当化するような一言を放った。鍼灸師の言葉とこの治療が合っているのかは分からない。でも確かに現場に血は流れたのだ。

 耐え切れずに意識が飛びかける直前で100本を刺し終わり、素早く全ての鍼が抜かれた。鍼灸師に「はい終了ですお疲れ様でしたー」と声をかけられ、僕はぐったりした状態で起き上がった。

 ふとベッドの横の鏡を見ると、首の後ろは穴だらけであった。これでよく生きていられた。不安と安堵が入り混じった感情のまま佇んでいた僕に、鍼灸師が「鍼が全部刺さっている状態の写真撮っておいたんで、携帯に送りましょうか?」と言ってきた。

 なんだそのジェットコースターに乗り終わった後の記念写真購入のようなシステムは!? まるで鍼治療体験アトラクションのようなサービスである。服を着て料金を支払い「また調子悪い時は来てくださいねー」と軽い口調の鍼灸師に半分頭を下げながら部屋を出た。

 マンションを後にし、とぼとぼと歩く帰り道、風に晒された首の穴が少し痛んだ気がした。
 
 
 
 それから1週間ほどで首の痛みは無くなり、鍼の穴も跡形も無くなった。鍼治療のおかげで痛みが引いたと思いたいが、正直それが正しいかどうかは分からない。

 だが鍼灸師から送られた、首に鍼が100本刺さった自分の写真を見る度に、二度とあそこへは行かないと誓うのだった。

(ハライチ岩井勇気さんのエッセイの連載は隔月第2金曜日にブックバンで公開。岩井さんが日常に潜むちょっとした違和感を綴ります)

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岩井勇気(いわい・ゆうき)
1986年埼玉県生まれ。幼稚園からの幼馴染だった澤部佑と「ハライチ」を結成、2006年にデビュー。すぐに注目を浴びる。ボケ担当でネタも作っている。アニメと猫が大好き。特技はピアノ。ベストセラーになったデビューエッセイ集『僕の人生には事件が起きない」に続く、『どうやら僕の日常生活はまちがっている』は2冊目の著書になる。

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