僕の人生には事件が起きない
2019/12/21

ダイエット中のハライチ岩井を襲った「魚の骨事件」

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お笑い芸人・ハライチの岩井勇気による連載エッセイふたたび。「人生には事件なんて起きないほうがいい」、独自の視点で日常に潜むちょっとした違和感を綴ります。今回のテーマは「ダイエット」です。
連載再開記念として今回に限り、「小説新潮」2020年1月号と同テーマ、別バージョンのエッセイをお届けします! 両方読んで、微妙な違いを味わうのがオススメ!
(次回以降は、「小説新潮」掲載分の転載となります)

 ***

「ダイエット」


イラスト:岩井勇気(ハライチ)

 ダイエットをしていた。太っているわけではなかったのだが痩せたかったのだ。年齢も30代に入ると世の中の男の多くは、腹がたるみ出し、顔が丸くなってくる。結婚などしていればなおさら。“幸せ太り”などと言えば聞こえはいいが、実際は太ることに幸せなどは無く、結婚生活で大幅に加算された幸せを太ることで少し減らしている。結婚してなお体型維持もしていることが最高峰なので、太ることとは “怠惰”でしかない。なので、そんな流れに逆らうべく痩せ細ろうという思いから、ダイエットを始めたのだ。
 

 実行したのは、とにかく1日の摂取カロリーを下げるというダイエットだ。通常1日で体が消費するカロリーに対して、摂取カロリーが下回れば自ずと痩せるというシンプルなダイエットである。つまり、あまり食べなければいい。

 しかし人はコレがなかなかできない。「食べないだけのダイエットはリバウンドする」だの「食事制限は体に良くない」だの、それらしく否定的な意見を並べては「結局食べながら痩せたほうがいい!」という言い訳を自分にして、やらないのだ。そうやって『朝カレーダイエット』や『ビターチョコダイエット』といった馬鹿みたいなダイエットにたどり着く。大概、食べ物の名前がついたダイエットというのは大嘘だ。それは総じてダイエットでもなんでもなく「ダイエットしてるから大丈夫!」と思うためだけの『気やすめ生活』である。よって、僕はダイエットの真理である『あまり食べないダイエット』を推奨する。

 

 ダイエット開始から1ヶ月で早くも5キロ痩せるという結果が出始めた頃、友達から食事の誘いがあった。ダイエット中ではあったが、順調に痩せているし調子に乗って食べ過ぎない自信もあったので、食事に行くことにした。店は沖縄料理店だった。沖縄料理はさっぱりしていて割とヘルシーなメニューが多いので僕にとっては好都合、店に着くと友達3人が席で待っていた。

 友達と多少のお酒を飲みながらテーブルの料理を摘んでいると、その中に沖縄のグルクンという魚を焼いたものがあった。かなり骨ばったカサゴのような魚だ。僕は何気なくその身を箸で取り、食べた。すると身の中に骨があることがわかった。しかし僕は頬張った魚の身に骨がある時に、口の中から骨を出す行為があまり好きではない。なぜなら、その行為はおばあちゃんがはっさくを食べる時に、一度はっさくを一房口の中に入れて噛んだ後、皮だけ口から出すアレと似ており、やっているのがおばあちゃんであろうが誰であろうが、気持ちが悪いからだ。なので僕は大きすぎない骨であれば、歯で噛み砕いて飲み込むことにしている。

 その時も、僕は大方骨を噛み砕いて飲み込んだ。するとその瞬間、喉の奥に激痛が走った。それと同時に僕は「かはっ! かはっ! うえぇっ!」と、むせ返った。グルクンの骨が喉に刺さったのだ。とっさに目の前の飲み物を飲む。しかし良くならず、食べ物と一緒に流しこもうと思い、テーブルにあったゴーヤチャンプルーをかき込んだ。すると骨の位置が変わったのか、刺さった直後よりは少しマシになったが、まだ痛みは続いている。唾を飲み込むだけで喉の奥が痛むのだ。

 友達も僕が悶絶していたのを見て心配し「何か大きめの食べ物を飲み込んだら治るんじゃない?」と唐揚げを差し出してきた。僕は何故かその時、ふと思い出した。今はダイエット中なのだ。唐揚げとは高カロリーでダイエットとは真逆の食べ物である。魚の骨が喉に刺さったせいで、今それを食べることを勧められている。

 しかし、背に腹は代えられない。僕は差し出された唐揚げを箸で取り、そのまま口に運び、半ば丸飲みした。悲しいことだ。ダイエット中、散々我慢していた高カロリーな食べ物を、痩せ切った後存分に味わおうと楽しみにしていたのに、こんな形で丸飲みさせられるのだ。人生で一番悲しい丸飲みである。悲しみの丸飲みである。心の中で泣きながら唐揚げを丸飲みしたが、骨は取れなかった。丸飲み損だ。その後も喉の痛みは続いていたので、僕は携帯電話で魚の骨が喉に刺さった時の対処法を調べた。するとやはり「食べ物を飲み込むと取れる」とあったが、そこには「ご飯を多めに飲み込むと取れることがある」とも書かれていた。メニュー表を手に取り、何かご飯を使った料理がないか目を通す。すると『ジャンボおにぎり』というメニューがあった。このおにぎり、中身は沖縄でよく使われる油味噌らしい。油の味噌である。『油味噌を使ったジャンボおにぎり』など、ダイエット中の僕にとってみれば『カロリー』と言っているのと一緒だ。だがご飯を使ったものはそれしかないようなので注文し、しばらくすると『ジャンボおにぎり』が届いた。かなり大きい。通常のおにぎりの2.5倍はありそうな大きさだ。魚の骨が喉に刺さっている僕は、そのおにぎりを多めに頬張った。味が濃そうな油味噌も、かなりの量がおにぎりの中に入っている。そして、ろくに噛まずにそれを飲み込んだ。飲み込んだ直後にわかった。骨は取れていない。痛みは続いている。なので一口、もう一口と、僕はカロリーを飲み込んでいった。摂取したくないカロリーを摂り、味わいもせず飲み込むのだ。僕に何の罰が与えられているのだろうか。喉に刺さった魚の骨は取れないまま、終いに僕はカロリーを全て食べきってしまった。

 友達3人もしばらくすると、テンションが下がっている僕にも慣れてしまって、キツめのハブ酒を飲んだり、サーターアンダーギーにアイスがかかったデザートを食べるなどしながらはしゃいでいる。しかし、僕はその楽しそうなノリに参加する気にはなれない。何故なら魚の骨が喉に刺さっているからである。というより、魚の骨が喉に刺さっている友達が目の前にいるのに、酒や甘味ではしゃぐのもどうかしている。きっとコイツらは魚の骨が喉に刺さったことがないんだろうな、と、僕は思っていた。この世には二種類の人間がいる。それは骨が喉に刺さったことがある人間と、ない人間である。魚の骨が喉に刺さったことがない人間は、得てして魚の骨が喉に刺さっている人間を見下しがちである。

 僕は、喉の奥の痛みを抱えながら、魚の骨が喉に刺さってなかった頃は良かったなぁ。などと考えていた。普段何気なく生活してきたけれど、いざ魚の骨が喉に刺さってみると、あの普通は幸せなことだったんだと気付くのだ。しかしその頃にはもう遅く、骨が喉に刺さっていない日常はもう戻って来ない。この先は魚の骨が喉に刺さった人生なのだ。魚の骨が喉に刺さると、そんなことを思い知らされるのである。

 もう家に帰って寝たい。もしかしたら寝て起きたら魚の骨が取れているかもしれない。そう思った僕は、友達3人に「今日はもう帰るわ」と告げた。それが恥ずかしいことだというのはわかっている。何故なら大人なのに魚の骨が喉に刺さったくらいで帰るからだ。だが魚の骨が喉に刺さったまま何をしていても楽しくないし、他の友達も魚の骨が喉に刺さった奴と一緒に居ても楽しくないだろう。お金を置いて店を後にし、家に帰った。そしてその日は早めに寝たのだ。
 

 次の日、早朝に目が覚めた。すぐにわかった。魚の骨は取れていない。寝てる間に取れてくれるか、どこかで骨が喉に刺さったことが夢であってくれとも思っていたが、魚の骨が喉に刺さったという事実は確実にあったのだ。その日は朝から仕事だった。仕事は嫌いではないし、むしろ好きである。しかし、それは魚の骨が喉に刺さってない状態でする仕事が好きなだけであって、魚の骨が喉に刺さった状態でする仕事は辛いものでしかない。むしろ、魚の骨が喉に刺さった状態で仕事をするなら、魚の骨が喉に刺さっていない状態のニートの方がマシである。

 人の喉に刺さる魚の骨というのは、そんな人を陰鬱な気分に引き込む呪いを持っている。それは、大きめの口内炎ができたときの「なんだか、何をしていても口内炎が痛んで気になるなぁ……」の比ではない。「鍵かけ忘れたまま自転車置いて来ちゃった……」や「白いシャツに醤油溢しちゃったけど家帰るまで落とせないわ……」など、なんて小さな悩みだろうと思える。自分の中のトレンドのトップが『魚の骨』になってしまうのだ。「魚の骨が喉に刺さっていて痛いけれど、次の駅で電車を降りよう」や「魚の骨が喉に刺さっていて痛いけれど、ATMでお金を降ろそう」と、何をするにも「魚の骨が喉に刺さっているけれど~」が頭に付いてしまうのだ。
 

 そんな気持ちを抱えながら仕事に行き、どうにか痛みに耐えて仕事を終わらせた。その後で、僕はもういっそのこと病院に行くことにした。

 耳鼻咽喉科を携帯電話で調べて電話したが、その日は運悪く祝日でどこもやっていなかった。絶望していると、僕はあることを思いついた。行きつけの歯医者なら骨を抜いてくれるんじゃないかということだ。早速、歯医者に電話すると「見ないとわからない」ということなので、僕は歯医者に向かった。

 歯医者に着くなり「どうぞ」と案内され、治療室に通される。そして先生が来て、喉の奥を明かりで照らしながら覗くと「あー。刺さってる刺さってる!」と言った。そして長めのピンセットを取り出し、その骨を摘んで、引き抜いたのだ。一瞬痛みが走ったものの、それまでの痛みが喉の奥からかなり消えていることに気づく。その後、先生が念入りに僕の喉の奥を見て「これで大丈夫だと思う」と言ったので、安堵した。

 すると先生は「喉は大丈夫だけど、虫歯になりかけの歯があるからついでに治療しとくね」と言いながら、歯の治療を始めた。素晴らしい。ここは歯の治療もしてくれるのか、魚の骨抜きクリニックなのに。と、僕は驚いた。帰りがけ、先生に「骨は抜けたけど、刺さってたところが傷になってるから、まだしばらく少しだけ痛むと思うけど2、3日したら治るから」と言われ、歯医者を後にした。
 

 世間で否定されがちな『あまり食べないダイエット』を、僕は一番痩せる方法だと思っていた。しかし、それは撤回する。一番痩せる方法とは『魚の骨が喉に刺さること』だ。あの憂鬱が続けば、人は皆痩せていくだろう。
 

 以前牡蠣の毒にあたった時、相当辛かったにもかかわらず、次の月には僕は牡蠣を美味しく食べていた。しばらくしたら僕は懲りもせずまたグルクンを食べるのだ。そんな気がした。

 ***

次回の更新日は2020年3月13日(金)です。

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