僕の人生には事件が起きない
2023/09/08

あわや積み上げてきた仕事と引き換えに…寝坊でやらかしたハライチ岩井が、天才的な遅刻の仕方を生み出す

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イラスト:岩井勇気(ハライチ)

お笑い芸人・ハライチの岩井勇気による連載エッセイがパワーアップして再始動!「人生には事件なんて起きないほうがいい」と思っていたはずが……独自の視点で日常に潜むちょっとした違和感を綴ります。今回のテーマは「完璧な遅刻」です。

会社、旅行、デートなど、誰にでも忍び寄る“遅刻”という名の悪魔……その原因の多くは、寝坊。目覚めた瞬間に「やらかした……」と絶望的な気持ちになる状況は、金輪際経験したくありません。

生まれ変わってやり直したい……そう思うでしょう。しかし、今、この現実はどうする? ひたすら謝罪するか、体調不良ですと嘘をつくか。

仕事先に行くために新幹線を10時に予約していたハライチ岩井さんもやらかしています。起きた直後に「完全な遅刻」と認識した日のエピソードとは?

 ***

 今日は愛知県の三河安城駅に行く新幹線に10時に乗るはずだった。しかし目を覚ましてみると時計はもう10時40分を回っていた。完全な遅刻である。
 
 
 

 仕事での遅刻は滅多にしないのだ。ましてや地方に行く新幹線に乗り遅れたことなど記憶を辿ってもない。

 決して昨日の夜に夜更かししていたということもなく、割と早く寝たはずであった。泥酔してそのまま寝た訳でもない。目覚ましアラームのかけ忘れや、アラームをセットした携帯電話の故障でもない。起きてから、もう少し寝られるかな、と思って寝てしまい、気付けば寝坊という王道の二度寝をしたのでもない。

 理由としては、朝アラームが鳴って一度起きたのだが、その時に自分が今なぜアラームで起こされているのか、何の予定があってこの時間に起きているのかが思い出せず、もう一度寝てしまったのだ。寝起きで頭が回っていなかったのかもしれない。少し苛つきながらアラームを消したような記憶だけが微かに残っている。こういう二度寝はたまにあり、自分でも変な寝坊の仕方だと思っている。

 目が覚めて寝坊に気付いた時、飛び起きてバタバタ準備したりなどしない。一度布団の中でどう準備してどう向かうのが効率が良いかを考えるのだ。もし側から見ていたら、遅刻しているのだからすぐに起きて準備すべきと思ってしまいがちなのだが、これは経験則で、バタバタ準備しても頭が回らず準備の中に無駄が多くなる。効率が良い動き方を考えてから起き上がった方が、準備にかかる時間が少ないのだ。

 布団の中で駅に向かうまでの一連の動きを1分程度で考えた僕は、起きて即刻浴室に行った。一瞬でシャワーを浴びて出る。サッとバスタオルで体を拭き、ドライヤーで髪を乾かすと、クローゼットからシャワーを浴びている間に考えていた服を手に取って着替えた。そして髪を乾かしている間に考えておいた荷物をバッグにまとめて家を出た。

 目が覚めてから10分弱。考えずに布団から飛び出していたら15分くらいはかかっていただろう。無駄のない準備であった。ただしそもそも寝坊しているので誉められたものではない。ちなみにシャワーなど浴びずに早く家を出た方がいいと思うかもしれないが、寝起きのベタついた髪と体で仕事をしていると、一日中遅刻を引きずることとなりうまくいかないので、気持ちを切り替えられるという意味でシャワーは浴びたほうがいいのだ。

 家の前でタクシーを捕まえる。家の前は車通りがそこそこあり、タクシーも捕まりやすい。事前にタクシーを呼んでおくと、何かの手違いで待たされる可能性があるので、道で捕まえる方法を選択した。すぐに空車のタクシーが来たので止めて乗り、新幹線の駅を伝えると走り出した。

 タクシーの中で新幹線の発車時間と到着時間を調べた後、遅刻の旨と到着時間を仕事先に伝える。そうしている間にタクシーは駅に着いた。料金を支払い、駅に行き、新幹線の発車時刻まで7分程あったので、駅のコンビニでコーヒーとヨーグルトを買った。

 遅刻しておいて余裕があるように思える行動だが、この新幹線は7分後に発車することが決まっており、早めることはできないので、人生においてこの7分を僕がどう使おうが自由である。

 もし何かできることがあるとすれば、駅で詫びの品でも買うくらいだろうか。しかしそんなものを渡せば「こんなもの買ってる暇があるなら早く来い!」と言われかねない。いくら僕が「あの7分は縮めることができなかったんで、反省の意を込めてお詫びの品を買う時間に充てたんです!」と言おうが、聞いてはもらえない上に、何をごちゃごちゃ言ってるんだ、と火に油を注ぐことにもなり得る。

 ホームに行き、到着した新幹線に乗って席に座ると、程なくして発車した。僕はゆっくりとリクライニングシートを倒して、窓の外の景色を見ながらコーヒーで一息ついた。

 まるで余裕のある1人旅行だ。これが目的地まで電車に乗る場合の遅刻の悲しいところで、一度乗り物に乗ってしまうと降りるまでは1分1秒も急ぐことができない。なので、この時間もどう使おうと僕の自由である。

 窓に付いているカーテンを閉めて座席の上に正座をして神妙な顔をしながら飲まず食わずでいようと、仕事先の人に伝わる訳でもない。「新幹線に乗っている間、反省の意を込めて正座をし、景色を楽しまず、何も口にしませんでした!」と報告しても、そんなことで禊(みそぎ)になるとでも思っているのか、と怒らせる火種になるだろう。

 しばらく景色を楽しみながらコーヒーを飲んだ後にヨーグルトを食べていると、静岡県の三島駅に着いた。実は新幹線の時間を変更してしまったので、この三島駅での乗り換えが発生していたのだ。

 僕は一度新幹線を降り、同じホームに来る鈍行の新幹線を待つこととなった。しかし、この鈍行の新幹線の到着までが思ったよりも長く、25分程ホームで待たなくてはならなかった。その時間帯は三島駅で下車する人は殆どおらず、降りて鈍行を待つ人と言えば、僕の他には居なかった。

 僕はとりあえずホームにあった売店に行ってみた。その売店は地元で作られた菓子などの種類が割と充実していた。なんとなくふわーっと商品全体に目を通した後、大きめのみたらし団子と三島で作られたカヌレ、お茶を購入した。そして自分以外誰も居ないホームのベンチに座った。

 その日は梅雨時期にしては珍しく晴れ、気温もちょうど良かった。三島という土地の、山々に囲まれたのどかな景色が広がっており、心地良く風の音がしている。僕は景色を見ながら、パックからみたらし団子を取り、一口食べた。そしてお茶を開けてコクリと飲んだ。

 つかの間の澄んだ時間であった。今まさに自分が遅刻していることなど忘れるくらいに心が穏やかになった。このまま三島に心が持っていかれていれば、今まで積み上げてきた仕事と引き換えに改札を出て、三島旅行に切り替えるところだった。

 ベンチに座り、この後行う仕事先への謝罪のことなど考えないようにしながら団子を食べる十数分は僕に、今度休みがあったら三島に遊びに来よう、と思わせた。
 
 
 

 しばらくして鈍行の新幹線が到着した。素晴らしく充実した乗り換えであった。僕は新幹線に乗り込んだ。我ながらよく気持ちを切り替えて乗れたと思う。三島の誘惑を振り払い、謝罪へ向かう新幹線に乗れたことは、この後会う仕事先の人たちにも褒めてもらいたいものだ。

 そして鈍行の新幹線の座席で離れゆく窓の外の三島に思いを馳せながら、三島のカヌレを食べて目的地へ向かった。到着した三河安城駅からは再びタクシーに乗り、速やかに仕事先に到着した。

 僕は旅行気分を捨て去り、タクシーを降りて仕事先の人達に第一声「すいませんでした!」と、声を張りぎみに謝罪するのだった。

(ハライチ岩井勇気さんのエッセイの連載は隔月第2金曜日にブックバンで公開。岩井さんが日常に潜むちょっとした違和感を綴ります)

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岩井勇気(いわい・ゆうき)
1986年埼玉県生まれ。幼稚園からの幼馴染だった澤部佑と「ハライチ」を結成、2006年にデビュー。すぐに注目を浴びる。ボケ担当でネタも作っている。アニメと猫が大好き。特技はピアノ。ベストセラーになったデビューエッセイ集『僕の人生には事件が起きない」に続く、『どうやら僕の日常生活はまちがっている』は2冊目の著書になる。

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