第5話 極上のエンターテインメントとしての宝塚

タカラヅカ・ハンドブック

2019年10月29日


 宝塚をおすすめするとき、私に不安はありません。もちろん「ご趣味に合わないかもしれませんが……」という気持ちは多少ありますが、「観て損した」とは思われないだろう、という自信があるからです。

 初めて東京宝塚劇場に行ったとき、まず私が驚いたのは、劇場にオーケストラピットがあり、劇中の音楽はすべて生で演奏されているということでした。

「えっ、ミュージカルってそれが普通じゃないの?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、宝塚を好きになって以来、いくつかミュージカルを観てみたところ、決して「常にオーケストラがいて、生演奏が当たり前」なのではないということがわかりました。

 そして、演奏だけでなくお衣装や舞台装置も、宝塚はすごいです。どうすごいかというと、日本にはあまりない「ゴージャス」という概念が舞台からキラキラとこぼれてくるのです。観ているだけでまばゆく、美しい蝶のを吸い込んでいるかのような気持ちになります。

「宝塚が好き」と言うと、見目麗しいスターのみなさんの魅力に目がくらんで、それを目当てに劇場に通っているかのように思われがちですが(そして実際そうではあるのですが……)、目の肥えた大人の皆さんが、ただルックスの良さだけで何かにハマるなんていうことはあまりないんじゃないかと思います。

 ルックスの良さに加えて、歌の上手さ、ダンスのキレ、演技力、そしてスターとしての華やキャラクター、魅せ方……。どれが欠けても、宝塚の舞台に立つことはできません。舞台の中心にいる人から端のほうにいる人まで、誰一人指先まで気を抜かずに演じている宝塚の舞台を観て思うのは、「目の数が足りない! 二つしかない目じゃ同時に観られる人数に限界がある!」ということと、「ここまでの完成度のものを披露するために、表に立つ人も、裏方の人も、いったいどれほどの時間と労力をかけているのだろう?」ということです。その労力は想像しただけで気が遠くなってしまうほどのものですし、「この人たちに比べたら、私が人生でしてきた努力って、虫ケラ以下じゃん!」と、温泉が湧くまで深く深く地面に穴を掘ってお湯に浸かりたい……いや、穴に埋まりたい気持ちになるものです。

 お芝居についていえば、その「良さ」の基準は、宝塚の場合、普通とはかなり違っていると考えたほうがいいと思います。物語的な正しさよりも、「その物語を、いかに宝塚の価値観にフィットさせるか」ということのほうが重要だからです。例えば2013年から2014年にかけて、映画で有名な『Shall we ダンス?』が雪組で上演されましたが、宝塚を観に来る人は決して地味なサラリーマン姿のトップスターが見たいわけではありません。こういった部分をどうクリアして、見せ場のある心ときめく作品にしていくか、ということが宝塚では最重要課題として設定されているようにお見受けします。宝塚の世界では、戦争は群舞で表現されますし、元の物語では地味な役をすさまじい美形が演じていたりもします。

 そういう、ある意味「飛ばしてんなー!」と感じる部分もあるのですが、宝塚の素晴らしいところは、初見のお客さんを決して置いていかないところです。話を端折る場合などには、メタ的な世界の語り部が投入され、あらすじを説明してくれることもあります。こんなことは普通の舞台ではなかなかありえないと思いますし、舞台の完成度は説明がないほうが上がるでしょう。けれど、それでも、初見の人がわからないものにはしたくないという徹底した意識が宝塚にはあるのです。また、たとえ悲劇的な物語であっても、つらい気持ちにならないようにという配慮もあって、さっき死んだ人がフィナーレ(最後に行われる短い形式のショー)で蘇って歌っていたりしますし、極力ハッピーな気持ちでお客様にお帰りいただこうという心意気を感じます。普通の舞台が表現としての新しさや鋭さを追求しているのだとしたら、宝塚はそういうものよりも「観た人が幸せな気持ちになれる」ことを優先させている、観客に奉仕する舞台であると感じます。

 そして、やはり絶対に観てほしいのはショーです。基本的にセリフがなく、歌と踊りだけで構成されているショーに、なぜこんなにも心を鷲掴みにされてしまうのでしょうか。なぜ「生きてて良かった」とさえ思ってしまうのでしょうか。あれは、宝塚の高い技術力があってこそ成立する芸の極みだと思います。

 宝塚を観て、「損した」と思ったことは一度もありません。むしろ「えっ……こんなお代でこんなすごいものを見せてもらっていいんですか!?」といつも思います。

 そして、観終えたあとに幸せな気持ちにならなかったこともないのです。どんな悲しい気持ちや悩みを抱えていても、それを一瞬忘れさせてくれるものがこの世にあるというのは、どれほど幸せなことか、と宝塚を観るたびに私は感じています。

はるな檸檬

1983年宮崎県生まれ。OLや漫画アシスタントを経て2010年、宝塚ファンを題材にした『ZUCCA×ZUCA』にて漫画家デビュー。『ダルちゃん』が第23回手塚治虫文化賞マンガ大賞の最終候補作となるなど、現在もっとも注目を集める漫画家の一人。その他の著書に、『れもん、うむもん! ――そして、ママになる――』『タクマとハナコ』などがある。

最終更新:2019/07/01

雨宮まみ

1976年福岡県生まれ。ライター。2011年、自伝的エッセイ『女子をこじらせて』を上梓し、「こじらせ女子」という言葉を生み出す。女性の自意識、音楽、カルチャーなど執筆分野の幅は広い。著書に『ずっと独身でいるつもり?』『女の子よ銃を取れ』『東京を生きる』『自信のない部屋へようこそ』『まじめに生きるって損ですか?』など。

最終更新:2019/08/29

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