行儀は悪いが天気は良い
2021/09/24

Aマッソ加納が語る、子供時代に出会ったヤバいおっさん 喧嘩最強「パッチギ」のモデルも

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人気お笑いコンビ・Aマッソの加納愛子さんが綴る、生まれ育った大阪での日々。何にでもなれる気がした無敵の「あの頃」を描くエッセイの、今回のテーマは「思い出のおっちゃんたち」です。

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 小学生の頃、大阪の住吉にあるうちの家にはしょっちゅう色んなおっさんが遊びにきた。親父の地元のツレのおっさん、親父とオカン共通の知り合いのおっさん、「世話なってる先輩や、挨拶せぇ」なおっさん、「ツレちゃうわこんなやつ(笑)」なおっさん。

 子どもからすればおっさんの細かい分類なんて知ったこっちゃなかったが、夕飯の席にはやかましいおっさんが当たり前のように座っていた。みんなオカンの出した適当なおかずをつまみ、何が面白いのかわからない会話でゲラゲラ笑い、論じ、けなし、ビールを飲む。小さいグラスに何度も瓶ビールを傾ける。なぁおっちゃん、そんな面倒くさいことせんと大きいコップに注いだらええんちゃうの? ほんまわかってへんなガキは。あのな、注ぐ行為も引っくるめて酒やんけ。

 そうやっていつもおっさんはちょっとウザかった。おっさんが来ると、普段家族それぞれが座っている夕食時の定位置を変更しなければいけない。別にそれほど場所にこだわりもないけどさ、なんでおっさんが最初に座るところ選べるねん。不満を言ってもしょうがない、どんなおっさんも立場は立派な客人なのだった。
 
 
 おっさん(1) 相楽のおっちゃん
 
 
 相楽のおっちゃんは週二回程のペースで我が家に来ていたレギュラーのおっさんだ。日焼けした肌に口ひげを蓄(たくわ)え、白いキャスケットをかぶり、くたびれたセカンドバッグを小脇に抱えていた。めちゃくちゃ胡散くさかった。

 レギュラーなのでもちろんインターホンも鳴らさない。フラッとやってきては、挨拶もなしにドカッと座る。そしてバカみたいに大きい声で喋る。それも酒が回ってくるにつれてどんどん大きくなるのではなく、シラフで話す一音目からしっかり大きい。

 親父に相楽のおっちゃんとの関係性を聞くと、「飲み屋で会うた」とだけ言った。飲み屋で知り合っただけのおっさんがなぜ我が家の常連になるのか謎だった。「高頻度の訪問」の必要条件には、「たくさんの共通の思い出や絆があること」という項目はないのか。たまに親父の帰宅よりも先に相楽のおっちゃんが来ることもあったが、気まずさなんぞは微塵も見せず、料理を作るオカンの背中に向かって延々と喋り続けていた。

 相楽のおっちゃんが来ると、テレビの音が聞こえなくなるのがたまらない。うちにはテレビが一台しかなかったから、見たい番組と相楽のおっちゃんの来訪の時間が重なったときは最悪だった。

 兄ちゃんと二人で大急ぎでごはんを食べ、テレビの目の前に座ってボリュームを上げる。当てつけのつもりだったが、おっちゃんは「そんな近くで見たら目ぇ悪なるぞ~」と言うばかりで気づいてくれず、結果ボリュームはどこまでも大きくなる。そのうちオカンが「やかましい!」と怒り、おっちゃんが「言われてんぞ~」と笑い、私が「だって聞こえへんねんもん!」と喚く。ゲッツーのようなテンポの良い一連の会話が毎回懲りずに行われた。相楽のおっちゃんはデリカシーがまるでなく、私が思春期にさしかかった頃には平気で「愛子なんやお前、化粧とかして色気づいて。男できたんか~」と聞いてきた。今の時代なら一発アウトの、快活なセクハラだ。オカンが「こう見えて相楽さんは、大学教授なんやで」と言ったが、なんの挽回にもならなかった。私の脳に「大学教授にロクな奴はいない」が刻み込まれた。
 
 
 おっさん(2) 金山のおっちゃん
 
 
 金山のおっちゃんは単独来訪はほとんどなく、たいてい相楽のおっちゃんとセットでやって来た。大人になって「バーター」という言葉を覚えたとき真っ先に浮かんだのがこのおっちゃんだった。

 金山のおっちゃんも「飲み屋で会うた」のカテゴリーだったが、相楽のおっちゃんのようないかがわしさはなく、ロマンスグレーの髪に顔もハンサムで好感が持てた。何より、いくら酒に酔ってもずっと姿勢が良かった。

 相楽のおっちゃんが芸能人の美醜についてあーだこーだ言っていると鬱陶しかったが、金山のおっちゃんが同じようなことを言っても「それにしても姿勢ええなあ」と思った。姿勢は人の印象を大きく左右するらしい。家族の有無も職業も知らなかったが、あんなに姿勢が良い人は、きっと立派な仕事をしている素敵なおじさんなんだろうなあと想像していた。

 ある夜、玄関の外から「お~い」という聞き慣れた声が聞こえた。親父と兄ちゃんと外に出て行ってみると、金山のおっちゃんがうちの前に移動式屋台を引っ張って来ていた。

 家の前の狭い道にドーンとあらわれたボロボロの乗り物の中で、金山のおっちゃんが「ラーメン屋始めて~ん!! ええやろ~! イエ~イ!!」とはしゃいでいた。兄ちゃんは「おっちゃんすげ~! 俺も乗せて~!」と目を輝かせていた。親父は「こんな路地まで持ってくんなや!」と笑っていた。遅れて出てきたオカンは「アホちゃうか」と言い捨て、すぐに家の中に戻っていった。私もテンションは上がったが、内心「やばい人やったやばい人やったやばい人やった」という思いがぐるぐる駆け巡っていた。姿勢の良さはなんの判断基準にもならないのだと気づいた。
 

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