行儀は悪いが天気は良い
2023/07/28

Aマッソ加納「恥ずかしくて情けなかった」 ロケで行った島根県の津和野が“心のふるさと”になった理由

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人気お笑いコンビ・Aマッソの加納愛子さんが綴る、生まれ育った大阪での日々。何にでもなれる気がした無敵の「あの頃」を描くエッセイの、最終回のテーマは「魂の居場所」です。

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 ごくたまに、ライブのエンディングやトーク中に体から魂が抜け出てしまうことがある。幽体離脱といった霊的なものではないけれど、肉体が静止して正常に機能していないという意味では同じであり、ふわ~っと自分の頭上に魂が浮かんだのち、終演後までその場所でゆらゆらと静かに揺れている。魂は音を立てず、誰に気づかれるわけでもない。

 社会におけるあらゆる職業の人が「仕事中にぼーっとする」ことに身に覚えがあるだろうが、本来ショービジネスの本番中では発動しにくく、おそらく質感も少し違うだろう。しかも私の場合、うまくいっているライブ中の満足している時にそうなることが多いのだ。

 魂が不在の肉体に向かって、誰かがいつものように「~ですよね? 加納さん」と投げかけてくれる。肉体は少しだけ遅れて、今までの経験値と反射のみで「ほんまやで」「誰がやねん」などと返している。その時頭上に浮かんでいる魂はといえば、明るい舞台照明と客席からの多くの視線に晒されていることを忘れ、己の肉体を含む舞台全体を見下ろしながら「ネタやり終わった、もうすぐライブ終わる」と、どうってことないことを思っている。

 そして「また」と続く。「また、ライブがひとつ終わる」、「これを続けていく」、「これを続けていくことを選んでいる」、「私は、続けていくという人生を、今この瞬間も選んでいる」。

 近頃、身の回りの芸人の解散や引退が相次いでいる。芸歴を問わず、一組また一組と、関わってきた人たちの思い出になっていく。私も報を受けるたびに、その芸人を応援していた人達と同じように驚きとさみしさを感じるのだけれど、芸人を十数年続けているとその気持ちにもいくぶん「慣れ」のような成分が混じりはじめる。

 そして一度それを自覚してしまうと、「最近なんか解散多いよなあ」という芸人同士の楽屋トークも、年に数度は聞いているような気がしてくる。いや、数度ではないのかも。淀みなく、常に「解散する芸人って多い」のかもしれない。たしかにそのほうが自然である。どのコンビ間にも契約書は存在しない。誰に頼まれたわけでもなく二人は勝手に決意し、近すぎるほど近づき、強引に同じ夢をみていると思い込む。そうしているとやはり、そのいびつで異常な状態に、時おり「正常」がすり寄ってくる。

 二人の主張が食い違っていき、お互い夢への情熱が灯ったまま別れることも少なくないが、私は自分の魂が肉体から抜け出る感覚を知っているため、「ああ、この二人もどっちかの魂が、あのまま戻らんかったんかなあ」と思ったりする。それぞれのタイミングで、ある時ふわっと抜け出た魂が、そのまま戻る機会を見失ったのだ。それなら気持ちはわかる。だって私の魂も、いつ体に戻ってるんかわからんねんもん。

 次のライブまでずっと魂が帰ってきていないことは今まで一度もないけれど、それだってたまたまかもしれない。本当なら、毎回毎回、「ああ、戻ってよかった」って安心するべきことなのかもしれない。魂不在の間に、同じ位置に「正常」とか「生活」が居座ってなくてよかったと思うべきなのかもしれない。そもそも、魂が同じ位置にちゃんと戻っているのかもあやしい。「よし、また次もがんばるぞ」って言っているのは常態化した肉体か魂か。その魂は最初にあったやつと同じ? ほんまに?

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