Aマッソ加納が明かす親友・フワちゃんの素顔「何かを失った人間の中で、一番最強だった」
人気お笑いコンビ・Aマッソの加納愛子さんが綴る、生まれ育った大阪での日々。何にでもなれる気がした無敵の「あの頃」を描くエッセイの、今回のテーマは「友だち」です。
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ほんの何年か前、意味や意義だけに囲まれたいというキショい思想をこねくり回して淀んでいた時、風穴を開けるかのように、突然ぽんっと友だちができた。硬そうな生地の、ひらひらしていないミニスカートを穿いていた。
前の日まではそうじゃなかったのに、今日からは友だち。友だちは仲良し。仲良しは共有。行動、思考もろともね。共有っていうのは容赦がない。昨日までの他人と己をシェアしていく。友情には己の軽量化が必要だ。いや、そんなわけはない。なぁなぁ友だち~、これについてはどう思う~? え~知らな~い! そんな会話だって自由自在だ。
初めて会ったのは、ネタ番組のオーディション会場にあるトイレの洗面台だった。無防備な場所でふいに目が合い、向こうから「はじめまして!」と挨拶をされた。その言い方があまりにぎこちなく、語尾にも締まりがなくて、「はじめまして」なんてかしこまった挨拶は言い慣れてないんだろうなと思った。私はとっさにしゃがみ込み、何の気なしにスカートの中を覗いてみた。おそらく「ちょっと、え、ちょっと!」が来るだろうなと思った。でもその子はひとつも嫌がらずに、逆にパンツが見えやすいよう「ほれ!」と言いながら裾を上までまくりあげた。私は驚いて「なんでやねん!」って言って、お互い我先にと笑った。ほんの五秒ほどの出来事だった。でもたったそれだけで友だちの下地が完成した。
笑ったのだからもう名前なんてどうでも良かったけど、その子は改めて自己紹介をしてきた。コンビ名も芸名もふしぎな名前だった。それにしても、名前よりも先にパンツの柄を知るなんて、今思い返しても最高にふざけた出会い方だ。私のことは知っていたようで、友だちは、その時はまだ「後輩」って名札をつけていた。
その子は、これ以上ないくらい理想的な友だちだった。面白くて、明るくて、チャレンジング。そしてとびっきりの悪ガキ。常に新しい遊びを提案してきてくれる。まるで私が頭の中で作りだしたアニメのキャラクターみたいだった。私の言う誰かの悪口にも同じ熱量で相槌を打ってくれたし、怒れば怒るほど楽しそうにノッてくる。そして「加納さんと遊んだあとは口が悪くなってるって相方に怒られるんだけど!」と、むちゃくちゃな責任をなすりつけてきたりした。漫画を読むのに夢中になって手に持ったまま舞台に出て行ったこともあるし、面識のない大御所の楽屋を興味本位でノックしに行っていたこともある。生きるのがうまくて、生きるのがヘタだった。一度ライブの帰りに「ラーメン食べて帰ろうか」と誘うと、「行く行く!」と楽しそうに店についてきたはいいものの、のろのろとまずそうに食べるので「あんまりお腹減ってなかった?」と聞くと、「ちがうんです、さっき飴を一袋食べちゃって今口の中の皮がベロベロなんですよ!」と聞いたことのない不調を訴えてきた。映画を見に行ったときは、終わった瞬間「あんま意味わかんなかった!」と大きい声で言い、なぜか同じアイスを二個買って食べていた。「このアイス美味しくておすすめですよ、ハマってるんです」と言ったので、「いつからハマってるん?」と聞いたら、「今日のお昼です」と飄々と答えた。
事務所ライブのリハーサル中に、ふざけていたことをマネージャーに怒られ、反省文を書かされることになったその友だちは、「ねえ見て! めっちゃ反省してる感じ出てて最高じゃない?」と、文章をまるごと送信してきた。見てみると確かに素晴らしく見事な、非の打ち所のない反省文だった。彼女いわく、「まずは謝罪文、そして怒られたことを反省している文、それに加えて、悪いことと気づけなかった自分の認識の甘さすらも反省している文」の三段構えが効果的で、これを「普段とはちがう丁寧な筆致で綴る」ことによって、「より上のやつに響く」らしかった。
「なんでこんなに反省文うまいん?」と聞いたら、「今まで何枚書いてきてると思ってんの!」と得意げに言った。今まで授業中にお菓子を食べたり、机の上に乗って担任の先生に飛びかかったりするたびに、彼女は少しずつ反省文の腕をあげていったらしい。私に教えてくれた学生時代のエピソードの中の彼女は、もうほとんど猿だった。「猿やん」と言ったら「せやねん」と言った。「せやねんやあらへんで」「ほんまやで!」へたくそな関西弁すら、舌先で転がして遊んでしまう。