いばらない生き方―テレビタレントの仕事術―
2024/05/22

「苦しいときは登っているとき。慢心したときは…」上岡龍太郎が遺した珠玉の名言と意外な一面とは

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上岡龍太郎さん(1990年)

 昨年の5月19日に上岡龍太郎さんが亡くなって一年が経った。

 共演者と大喧嘩を繰り広げ、納得がいかなければ番組の途中でもスタジオを退席してしまうなどの逸話から、強面な印象のある上岡さんだが、タレントの中山秀征さん(56)には別の一面が見えていたという。

 後輩に説教じみたことは一切せず、ライブでは満面の笑みでツイストを踊る。そして何より、話術に長けていた。志村けんさんや萩本欽一さんなど数々の大物タレントを間近で見てきた中山さんだが、“話術の達人”として真っ先に思い浮かぶのは上岡さんだ。

 そんな上岡さんが、「ヒデ、いいか」と中山さんに遺してくれた、人生の指針となる言葉があるという。

 中山さんが、人生観を語りながら上岡さんとのエピソードなど芸能生活を振り返った著書『いばらない生き方 テレビタレントの仕事術』(新潮社)から、知られざる上岡さんの姿を紹介する。

(※以下、同書より引用・再構成しました)

“虎の威を借るタイプ”にはめっぽう厳しかった

 広い芸能界で“話術に長けた人”は、それこそ星の数ほどいますが、“話芸の達人”といえば、僕の中では、真っ先にこの方の名が浮かびます。2000年に58歳で芸能界を退き、2023年にお亡くなりになった上岡龍太郎さんです。

 初めて番組でご一緒したのは、上岡さんが東京に本格進出した、フジテレビ系『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』(1990~1996年)。

 上岡さんは、どんな話題でも、必ず“自分の物差し”で意見を言う、まさにモノ言う司会者。だからこそ、ステレオタイプな批判をする専門家や、怪しい自称霊能者など、“虎の威を借るタイプ”にはめっぽう厳しく大喧嘩も辞さない方でした。

 そんな上岡さんの司会術で、僕が特に学んだのは「番組への入り方」でした。

 上岡さんは、番組の“つかみ”のひと言目がとても強いんです。

「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才、私が上岡龍太郎です」という、ラジオ番組での“口上”は有名ですし、「ダマされないぞ」でも、毎週、話題のトピックをインパクトの強いキャッチーな一言でまとめて、観ている人を最初から引き込む。僕も自分の番組で“上岡流”に挑戦しようと、何度もトライしているのですが、いや、これが難しい(笑)。学んだつもりでもマネのできない“一流の話芸”です。

今も忘れられない“踊っている姿”

 個人的なお付き合いの中で、僕が今も忘れられないのは、上岡さんの“踊っている姿”で……。

 もともと上岡さんとは、ロックやロカビリーが大好きという共通点があり、僕が20代前半の頃にやっていた「ロックンロールショー」というライブにも、よく足を運んでくださいました。

 僕が歌うプレスリーの曲に合わせて、あの上岡龍太郎が、満面の笑みでツイストを踊る。決して広くないライブハウスで、ギュウギュウの観客の中、実にノリノリなご様子で……!

 上岡さんは、僕ら後輩に「芸とはこうあるべし」みたいな説教じみた話は一切せず、いつも音楽や映画スターの話を楽しそうにしてくれました。僕がするプレスリーの話にも「ヒデ、若いのによう知っとるなぁ」なんて目を細めてくれて……。

 90年代は「笑いは、突き詰めるのが美徳」という空気が、今よりさらに色濃い時代でもあったので、上岡さんの「好きなモノを好きと言うスタイル」に僕はとても勇気を貰いました。

 目の前で、日本を代表する“話芸の達人”が、嬉しそうにプレスリーの話をし、笑顔で踊っている。「バラエティをやりながら、プレスリーや裕次郎を好きでもいいんだ」と、自分の中にあった“こうあるべき”という先入観から解放されたような気さえしました。

 上岡さんに対して「東京嫌い」のイメージを持つ方も多かったようですが、落語立川流の芸能人コースに弟子入りしたり、『男はつらいよ』の大ファンだったり、実は「東京の芸能」も大好きで……。

「ダマされないぞ」のメンバーで『新春かくし芸大会』への出演が決まった時には、楽屋で「ヒデ、俺もついにかくし芸に出るぞ!」と、小躍りして喜んでいた姿も忘れられません。

上岡さんが掛けてくれた「人生の指針」となる言葉

 そんな“憧れ”を素直に出す少年のような一面を持ちながら、自分の信念に反したことは許さない“強さ”も上岡さんの魅力でした。

 あれは二人で司会を務めた、テレビ朝日系『大発見!恐怖の法則』(1996~1997年)で、視聴率のテコ入れのため、番組コンセプトから外れたVTRが流れた時でした。

「こんなことをやるためにこの番組を引き受けたワケではありません」と、突然、スタジオから出て行ってしまい……。残された僕は必死に場をつないだ記憶があります。

 僕が『ウチくる!?』の時に大切にしていた“軸がぶれることのない信念を持つ”という姿勢は、そんな上岡さんの影響もあると思います。

 それにしても僕は、たかじんさんといい、上岡さんといい、関西の大御所がスタジオを出て行った“後始末”を2度も経験していて……。その点では、東京のタレントとしては、唯一無二かもしれません(笑)。

 上岡さんは、人生を山登りに例えて、僕にこんな言葉をかけてくれました。

「ヒデいいか、苦しいときは登っているとき。自分がすごいな、足が速いなと慢心したときは、下っているときだから気をつけろ」

 この言葉は、タレントとしてだけでなく、人生の指針として今も肝に銘じています。

 ***

【上岡龍太郎さんから学んだ、明るく生きるヒント】
・まずは「自分の物差し」で考え「自分の意見」を持つ
・他人の目を気にせず「憧れ」や「好き」を素直に表現する
・信念に反した仕事を拒否する、毅然とした態度も必要

 ***

中山秀征(ナカヤマ・ヒデユキ)
1967年生まれ。群馬県出身。テレビタレント。14歳でデビューして以来40年以上にわたり、バラエティ番組や情報番組の司会、俳優、歌手として活躍している。

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