RAA(特殊慰安施設協会)を知っていますか 乃南アサ『水曜日の凱歌』

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水曜日の凱歌

『水曜日の凱歌』

著者
乃南, アサ, 1960-
出版社
新潮社
ISBN
9784101425580
価格
1,034円(税込)

書籍情報:openBD

RAAを知っていますか

[レビュアー] 井上理津子(フリーライター)

「戦後七十年」の今年、戦後を振り返る企画が目白押しだが、RAAに焦点を当てたものを、私は見たことがない。RAAは「レクリエーション&アミューズメント・アソシエーション」の略で、「特殊慰安施設協会」と訳される、敗戦の十一日後に占領軍に向けて国家が設けた売春施設だ。「日本婦女子の“防波堤”に」と、惨い位置付けだったと周知されていても、わずか七か月で閉鎖されたと知る人は多くないのではないか。本書は、大森海岸と熱海のRAA慰安所を舞台に、翻弄される女性たちの姿と思いを見事にえぐりとった七か月間の物語である。

 五百頁を超す長編なので、実は、読むのに骨が折れるかと思ったが、ページをめくり出したら、やめられなくなり、一気に読んでしまった。

 主人公は「昭和六年」生まれの二宮鈴子。父親が東京・本所で運送会社を経営する裕福な家庭に育ち、五人きょうだいの二女だったが、東京大空襲で九死に一生を得た鈴子と母親以外、死亡または行方不明という敗戦時から物語は始まる。一面の焼け野原で、「もう、何があっても苦しくも、悲しくも、怖くもないような気がした」と。

 住処を求めて転々とした後、母が、どうやら愛人関係にあった亡父の親友「宮下のおじさま」の伝手で通訳の仕事を得た大森海岸の「小町園」などの宿舎に住むようになる。小町園は「お下げ髪にもんぺ姿」で連れて来られたごく普通のお姉さんたちが「白粉を塗られ、言葉も通じない相手に体を任せる」RAAの慰安所で、宿舎は「ひと仕事終えてきた女郎たちが帰ってきて、風呂入って、食事して、寝る」ところだ。占領軍の兵士たちが長い行列を作って女性を買いに来る様を、連日目の当たりにした。押し入れに隠れ、下半身から血を流して嗚咽する女性に遭遇して衝撃を受けた翌日、その女性が鉄道自殺したと聞かされたりする中、十四歳の鈴子が心を閉ざすまで時間はかからない。

 性を売らざるを得ないお姉さんたちを「利用している」通訳、母のおかげで不自由なく暮らせる矛盾を感じつつも、十一月半ばに越した熱海の旅館の離れでは、さらに豊かな暮らしとなる。そもそも母が小町園にいた時よりさらに高給を得る、将校相手の熱海の慰安所に職場を変えることができたのも、デイヴィッド中佐と恋愛関係になったからだ。鈴子が母をますます冷やかに見るようになると共に、取り巻く環境を冷静にとらえるようになっていく。一方で、空襲で右腕を失くした幼なじみが訪ねてきて、心を通じ合わせるシーンも出てくる。

 と、鈴子の身辺ばかり書いたが、登場する主だった人たちすべてに深みがある。戦争が終わって、生き延びていく戦争が始まったのだと、言わずもがな、なのである。

 大切な秘密を打ち明けるような表情で、鈴子に「今月中に、百人まで増やすんだって」と教えた女性。占領軍の集団を前に「見てみなよ、あの毛むくじゃらの腕を。俺の足より太てぇぐれえだ」と言う野次馬。「だけど、私たちだって人間だわ。いくらお金をもらうっていったって、あの子たちだって」と握り拳を作ったまま呟き、涙を流す帳簿担当の女性。京浜国道で、真っ赤な口紅に派手なワンピース姿でアメリカ兵に「ハーイ」と手を振る女性を見て、「あたしもさ、もう何年かしたらアメリカ人の男とつき合うんだ」と言い放つ同級生。「それでも生きていかなきゃなんないんなら、せめて今日一日の、食べものや寝るところや着るものや、それくらいの心配はせずにいたいじゃない?」と話すダンサー……。「慰安婦」自身の働きぶりの描写はないのに、外堀からその生々しさが浮かび上がる筆さばきに、ぐいぐい引き込まれる。

 RAAの慰安所は、一九四六年三月二十七日に突然、あっけなく閉鎖される。性病が蔓延し、罹患するGIたちが後を絶たないためだという。ずいぶんな話だ。「働かなけりゃ、おまんまの食い上げなんだよ」と叫ぶ女性たちを、「野良犬か何かのように」トラックの荷台に詰め込む「パンパン狩り」が行われる。トラックの中で怒りに怒って、「この国を変えてやる」と息巻くダンサーに、万感が込められていたのだと気づかされるのは最後の最後。タイトル「水曜日の凱歌」の意味も、ページが残り少なくなってから、すっと腑に落ちた。

 七十年前を語れる人が少なくなっているうえ、こういった話は口をつぐむ人がほとんどだろうに、乃南アサさんは莫大量の取材をして書かれたに違いない。読後、町で見かけるごく普通のご年輩女性たちが皆、鈴子をはじめとする登場人物たちに重なってならなかった。

新潮社 波
2015年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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