『かんかん虫は唄う』
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【文庫双六】横浜生まれの大作家 その自作評価に驚く――北上次郎
[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)
『謎の物語』の編者・紀田順一郎は、『横浜少年物語』の著書があるように、横浜生まれの作家である。そこで横浜に生まれた他の作家にバトンをつなげたい。エンタメ育ちの私が真先に思い浮かべたのは吉川英治だ。
というわけで、ここでは吉川英治には珍しい現代物である『かんかん虫は唄う』をとりあげる。
かんかん虫とは、船の錆落としをする労働者のことで、吉川英治も若き日に横浜のドックで働いたことがある。つまりこれは、吉川英治の自伝的長編だ。
明治末期の横浜の風俗が随所に描かれているので大変興味深い。特に、根岸競馬の様子がかなりの分量で描かれているのは貴重な風俗資料といっていい。
ところで、吉川英治といえば、忘れがたい挿話がある。司馬遼太郎の直木賞授賞式で、吉川英治は司馬に近寄り、こう言った。
「自分は若いころ、つまらぬものを書きすぎた。あなたも、その轍を踏まないようになさったほうがいいですよ」
そのとき吉川英治は67歳。その2年半後に亡くなったので晩年の言である。この挿話を、川口則弘『直木賞物語』(文春文庫)で初めて知ったときは本当にショックだった。
この場合の「若いころ」というのは、昭和10年、43歳のときに「宮本武蔵」を書き始めるまでのことだと思う。というのは、この「宮本武蔵」を境に、作風が異なっているからだ。このあと吉川英治は、「新書太閤記」「三国志」「新・平家物語」という歴史小説を発表して大作家になっていく。それ以前に書いていたのは、伝奇小説だから、作品のトーンはかなり異なる。
私がショックを受けたのは、現在の地点から読み返すと、昭和10年以前の伝奇小説が面白いからだ。『貝殻三平』『燃える富士』『檜山兄弟』『江戸城心中』とすべて躍動感に富んでいる。
にもかかわらず、本人がそれらの作品を書いたことを後悔していたとは驚きであった。