働くこと、日々積み重ねていくことがくれるもの――寺地はるな『月のぶどう』

レビュー

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([て]3-3)月のぶどう

『([て]3-3)月のぶどう』

著者
寺地 はるな [著]
出版社
ポプラ社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784591160527
発売日
2018/10/03
価格
734円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

働くこと、日々積み重ねていくことがくれるもの。

[レビュアー] 瀧晴巳(フリーライター)

 今の仕事でいいんだろうかと迷っている人、やりたいことが見つからないと思い悩んでいる人に、この小説をすすめたい。きっとヒントになる言葉、いや、胸の奥に深々と刺さる言葉にいくつも出会えるんじゃないか。

 歩(あゆむ)は、自分にはこれと言って夢がないと思ってきた。どうしてもこれをやりたいと思えることが見つからないまま、26歳になっていた。カリスマ経営者だった母親の美香枝(みかえ)に憧れ、子どもの頃から実家のワイナリーで働くことを夢見てきた双子の姉・光実(みつみ)の存在が、彼の所在のなさに拍車をかける。「出来の悪いほう」の弟は、「出来のいいほう」の姉と常に比較され続けてきたのだ。

 ところが母親の突然の死によって、歩は、実家に呼び戻され、ワイナリーの仕事を手伝うことになる。家業なのに、歩はワインのことを何も知らなかった。お酒に弱いからというのは表向きの理由で、母親は出来のいい光実さえいれば、自分のことなんてどうでもいいんじゃないかと思うと「知ろう」という気になれなかったのだ。
 
 知識ゼロ、興味ゼロ、経験ゼロ。まさに、ないない尽くしからのスタート。歩の挌闘の日々が始まる。

 近年、日本のワインは世界的にも評価が高まっていて、その理由は原料になるぶどうの質が向上したからだという話を聞いたことがあるけれど、ワイナリーの仕事というのは、こんなにも手間のかかる手作業の連続なのかと驚かされる。たとえば「摘房(てきぼう)」という作業がある。出来のいいぶどうをつくるために、ひとつの枝にひと房だけ残して、あとは間引く。前もって本で調べることはできても、歩には、最初はどの房を残せばいいのかさえわからない。ベテランの日野(ひの)さんはぶっきらぼうでとりつくしまもないし、二十歳の森園(もりぞの)くんには鼻で笑われる始末。それでも続けているのは、ここで逃げ出したら「あとがない」と思うからだ。

「天職じゃないし、おまけに俺、べつにワイン好きでもなんでもないし、現状」

 歩のこの言葉を後ろ向きだとは思わない。ほとんどの人が、実はそんなものじゃないか。「天職を見つけよう」とか「好きなことだから頑張れる」と言われると「自分には当てはまらないかもしれない」とうつむいてしまいそうになるけれど、しょげる必要など本当はないのだ。仕事に関して言われてきたきれいごとを取っ払ったところから、この小説は始まっている。そこがすごくいい。

「俺も今の仕事、天職だと思ったこと一回もないし、子ども服とかべつに好きじゃない」

 親友で子ども服の卸しの仕事をしている広田(ひろた)も言う。

「でもそれは、だから適当にやればいい、ではないもんな」

 ないない尽くしのスタートでも、自分次第で仕事は育てられるし、人も育っていくのである。

 そんなに頑張らなくたって、歩は歩のままでいいじゃないと言う叔母の和葉に対しても、歩は「俺は俺のままでいたくないんや」と告げる。ありのままの自分を受け入れてくれる場所がどこかにある、そんな甘ったれた幻想を捨てると決めた時、子どもだった時代が終わるのだろう。そこから先は、自分の手と足を使って、自分の居場所を自分でつくっていくのだ。

『ビオレタ』でデビューして以来、寺地(てらち)はるなという作家が繰り返し描いてきたのは、まさにそのことではないか。人生の転機を自分なりのやり方で乗り越えていこうとする人たちの機微を、真っ直ぐな言葉ですくいあげてきた。おとぎ話のような設定も持ち味のひとつだが、今回は封印。四季折々のワイナリーの仕事を丁寧に描いていて、地に足のついた視線がこの小説には不可欠だったのだと思う。魔法みたいなことは一切起こらないが、地味で地道な日々の積み重ねの先に薄紙を剥ぐように少しずつわかってくることがあって、それこそが働くこと、日々を生きていくことがくれる本物の魔法なのだろう。
 
 それにしても同じ親から生まれ、同じ環境で育った、同じ年齢の相手と比べられるなんて、双子というのは、実に容赦のない設定だ。人と自分を比べるのは苦しい。なぜあの人にあるものが自分にはないのかと思うと、黒い感情に足をとられそうになる。とはいえ、この小説で人と自分を比べずにはいられないのは、歩だけではない。登場人物の誰もが自分と誰かを比べていると言ってもいいくらいだ。あの情熱が、あの才能が、あの境遇が自分にもあればいいのに――。ないものねだりとわかっていてもそうせずにはいられないのは、歩の言うように「俺は俺のままでいたくない」からなのに違いない。

「出来のいいほう」だと思われてきた光実も、頑なな自分の殻を破れずに葛藤する。「自分にはこれしかない」と思ってきた人間には、無意識に人を下に見る傲慢さがあるし、つまずいた時に脆い。あの人が光なら、自分は影だと思っているかもしれないが、光と影は何度でも反転する。光があんなにまぶしく見えるのは、その人が自分の影を懸命に乗り越えてきたからだとわかってくる。

 おじいちゃんをはじめとして、大人たちがとてもいい。かっこ悪い本当のことが描かれているから、読んでいて苦しくなるけれど、こんなにも親身になってくれる小説はちょっとないかもしれない。今、ここから始まるものがきっとあると前を向く力をくれる1冊。

ポプラ社
2018年10月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

ポプラ社

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