常に挑戦を続けるプロスキーヤー/登山家、三浦雄一郎さんの言葉に学ぶ

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三浦雄一郎

『三浦雄一郎』

著者
三浦雄一郎 [著]
出版社
平凡社
ISBN
9784582741148
発売日
2019/02/08
価格
1,320円(税込)

常に挑戦を続けるプロスキーヤー/登山家、三浦雄一郎さんの言葉に学ぶ

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

先ごろプロスキーヤー/登山家の三浦雄一郎さんが、南米大陸最高峰のアコンカグア(標高6961メートル)の登頂とスキー滑降を目指すも、同行する医師のドクターストップを受け入れて下山したという報道がありました。

そのトピックが教えてくれたのは、「決断」の大切さ。また、2月6日に都内で行われた遠征報告会における「頂上に行けなかったのは残念だが、それ以上に、次の夢への可能性を感じた」という前向きな発言は、「あきらめない」ことの重要性を実感させてもくれました。

三浦雄一郎 挑戦は人間だけに許されたもの』(平凡社)は、人生の先輩が言葉で伝える語り下ろし自伝シリーズ「のこす言葉」の最新刊。「挑戦すること」「生きること、死ぬこと」などのテーマに関する、三浦さんの生の声が収められています。

きょうは「なにが挑戦へと駆り立てるのか」のなかから、いくつかのエピソードをご紹介したいと思います。

体とメンタルの整え方

(挑戦することの)原動力は、何かの記録をつくりたいという気持ちより、好奇心。登山家に「そんなところでは滑れない」と言われると、逆に滑りたくなる。僕はドキドキ、ワクワクすることが好きなんですよ。それには、新しいことに挑戦するのがいちばんです。(72ページより)

こう語る三浦さんですが、「次の挑戦」を決めるにあたっては、「これがやりたい」というものが見つかったら、いつもすることがあるのだそうです。

事前に準備をし、体調の上がり具合を見て、具体的に1年先くらいまで計画が見えてきた段階で、そのことを発表してしまうというのです。

もちろん発表の時点では、できるかできないかはわかりません。しかしそれでも、旗印を掲げてみる。すると、引っ込みがつかなくなる。つまり、自分自身をのっぴきならない立場に追い込むというわけです。

挑戦を重ねていくと、体もメンタルも強くなっていくのだといいます。そして挑戦に向かえるだけの体力がないと、当然のことながらメンタルも落ちていくことになります。

でも、挑戦に向かうときのスタート時点は、もっと弱い状態なのだとか。「本当にこれでできるのか」という状態であることが多いというのですから意外です。

たとえばメタボだった65歳のころは、札幌にある標高531メートルの藻岩山(もいわやま)にも途中までしか登れないような状態だったといいます。

そのころ狭心症の発作を体験したそうですが、つまり50代で怠けた生活を送っていたツケが、生活習慣病として現れていたということ。そのため、なんとか治し、70歳でエベレストにチャレンジしようと思い立ったのだそうです。(72ページより)

76歳で骨盤、大腿骨頚部骨折の大けが

挑戦すると決めてからも、いろんなことが起こります。僕は病気や怪我の状態でも、周りの声はあまり気になりません。自分のことだけに集中して、治っていく過程を楽しんでいます。(73ページより)

75歳のときには「80歳でエベレストに再挑戦しよう」と決めたものの、その翌年、76歳のときにスキーのジャンプで失敗し、大腿骨頚部と骨盤など5ヶ所におよぶ大きな骨折を体験することに。

そのときには医者から「運がよくても車いすの生活だろう」と言われたといいます。70代で下半身の骨を折ったら、10人のうち3人くらいは寝たきりになるというのです。

しかしそれでも三浦さんのなかには、「絶対に治る。治してエベレストに登るんだ!」という気持ちが強くあったといいます。

そういう気持ちでいると、はじめは寝返りさえ打てないような状況でも、まずは寝返りを打てるように頑張ろうと思うわけです。

それができるようになると、次はなんとか平行棒を頼って歩いてみよう、とこうなるわけです。そんなふうに一つひとつできるようになるのが嬉しいんですね。

少しずつ回復していくプロセスを体中が喜んでいる。これがいいんです。骨折したんだからもうダメだ、再起不能だと思うんじゃなくて、治ればエベレストに登れるんだと思いながらリハビリしていました。

人生にはこんな嬉しいことがあるんだと思いながら、できなかったことができる喜びを噛みしめていましたね。(74ページより)

そんな三浦さんを見守る家族は、「これで80歳のエベレストは無理だろう」と、怪我をしたことで逆に安心したそうです。挑戦を諦めてくれるだろうと思っていたわけです。

ところが熱心にリハビリをしてトレーニングを再開し、3年がかりで復活したというのです。

しかしそうはいっても、怪我を乗り越えたあとは順風満帆だったというわけではなかったようです。エベレスト挑戦の半年前にトレーニングとテストをかねてヒマラヤに登ったときには、ひどい高山病にかかってしまうことに。

虫歯を完全に治さないまま行ったところ、3500メートルまで行ったところで頭が痛くなり、免疫力が落ちて左奥歯が腫れ、夜も寝られないほどになったというのです。

山奥に歯医者なんていないですから、歯医者の心得のあるおばあちゃんがいるとシェルパが探してきてくれて、牛小屋の上にある診察所に行きました。

「外国人は痛みに弱いから」と一応、局部麻酔をしてくれたんですが、麻酔が効き始める前にぐいっと歯を抜かれて。でも、4~5日したら痛みは引きました。(75~76ページより)

その後、トレーニングのために6119メートルのロブチェ・ピークに登る予定だったものの、5200メートルまで登ったら不整脈がひどくなったため、帰って手術をすることになったそう。

しかし本当なら3日程度で退院できる予定だったのが、リハビリを急ぎすぎ、そののち仕事で訪れた大阪でインフルエンザにかかって熱が40度近くまで上昇。階段で気を失うまでになり、心臓が微動状態になってしまったため、すぐ心臓の電気ショックを受けたのだといいます。

挑戦に向けた出発は翌年3月中旬の予定で、このときはもう12月。こんな状況では普通の生活も危ないので、もう1回手術した方がよいと言われました。

ただ病院の受け入れの都合で、1月15日でないと手術はできないというので、それまで薬で抑えました。それでようやく手術を終え、3月には山岳ガイドの倉岡裕之君、クライマーでカメラマンの平出和也君、次男の豪太とともにヒマラヤに出発します。

途中のナムチェバザールまで行ければ上出来だと思われていたんですが、僕は頂上まで登る準備をして行きました。(76~77ページより)

周囲の人は、「今回は絶対に登頂は無理だ」と思っていたそうですが、この精神力には驚かされるばかりです。(73ページより)

80歳にして気づいた「年寄り半日仕事」

そんな状況下で私が思い出したのは「年寄り半日仕事」という言葉。昔の農家の人たちは朝から晩まで忙しく働いていましたが、さすがに年を取ってくると体がいうことをきかない。

それで生まれたのがこの言葉です。この言葉を思い出して、山登りもこれでいったらいいのではないかと考えました。それで、手術からエベレストのベースキャンプに入るまでの期間を全部リハビリの山歩きにしたんです。

ふつう、ヒマラヤでナムチェから3900メートルのシャンボチェへ登るときは、朝出発して夕方にシャンボチェへ着くわけですけれども、その頃にはだいたいフラフラになっています。空気も薄いし寒くて、誰でも高山病にかかりやすくなる。 こんな登り方をしていては、年寄りは死んでしまいますから、「年寄り半日仕事」と決め、朝ゆっくり出発して2時間ほど歩いてお昼にご飯を食べ、そこで行程を終了することにしました。

お昼ご飯の後は大好きな昼寝をして、目が覚めて午後3時くらいになったら、景色を眺めながら何も持たずに散歩する。これを20日間繰り返しました。(77~78ページより)

そんなことをしながら5300メートルのベースキャンプにたどり着いたら、以前よりも心臓の具合がよくなっていて、足腰の筋力もエベレストに挑戦できるまでに鍛えられていたといいます。

「年寄り半日仕事」を実践したおかげで、80歳にしてエベレスト登頂に成功できたということ。

これは、年齢に適した挑戦の仕方があるということを証明するエピソードだといえそうです。(77ページより)

ご本人の言葉だけで構成されているので、読んでいると、三浦さんと向き合って話を伺っているような気持ちになれるはず。そして、挑戦することの大切さなどを実感することができることでしょう。

人生の先輩からの助言を受け止めてみれば、日々の仕事にかける思いにも前向きな変化が生まれるかもしれません。

Photo: 印南敦史

メディアジーン lifehacker
2019年2月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

メディアジーン

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