【聞きたい。】猪木武徳さん 『社会思想としてのクラシック音楽』 「平等」がもたらした変容
[文] 桑原聡(産経新聞社 文化部編集委員)
俎上(そじょう)に載せられるのはバッハからショスタコーヴィチまで。平等な自由と多数決を統治の原理とする「デモクラシー」に人間精神が支配され始めてから、クラシック音楽がいかなる運命をたどってきたのかを、自称「クラシック音楽マニア」の経済学者がつづったエッセーだ。ここには通奏低音が静かに響き渡る。『アメリカのデモクラシー』で知られるフランスの思想家、トクヴィルがデモクラシーに抱いた懸念だ。
「バッハの時代までは、教会という共同体が辛うじて機能していました。ところがデモクラシーという政治システムのもとでは、誰もが自分を第一に考えるようになり、社会は紐帯(ちゅうたい)を失い人間はアトム化してゆきました」
バロックから古典派を経てロマン派へと移行する過程の背景には、デモクラシー思想の広がりがあった。超越者との対話であった音楽は、世界の主人公となった個人の感覚を刺激する方向へと変化してゆく。
「デモクラシーというシステムの中で成功するには、政治家にしろ音楽家にしろ、大衆の感覚や感情に直接訴えかける力が求められるようになります。19世紀のロマン派の音楽の多くはそうした力で生まれたものです」
ロマン派の音楽は、人間のエゴの肥大化に合わせるようにどんどん巨大化、20世紀初頭のマーラーを最後にあたかも恒星が爆発するように終焉(しゅうえん)を迎える。同時に、すべての音高を平等に扱う12音技法が登場する。
「一人一票というデモクラシーとのアナロジーを感じざるを得ません。私のような凡人が、12音技法による音楽に対して持つ違和感は、デモクラシーが持つ欠陥と無関係ではないように感じます。平等を絶対視するだけで果たして調和と秩序が生まれるのか…」
猪木さんの思考は音楽の変化をたどりながら、デモクラシーそのものへの根源的な問いに至る。知的刺激に満ちた書だ。(新潮選書・1760円)
桑原聡
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【プロフィル】猪木武徳
いのき・たけのり 昭和20年、滋賀県生まれ。京都大経済学部卒、マサチューセッツ工科大大学院修了。大阪大名誉教授。主な著書に『経済思想』『自由と秩序』『自由の思想史』。