他分野で活躍する作家が別名義で書いたミステリがどれも正統派だった

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他分野で活躍する作家が別名義で書いたミステリがどれも正統派だった

[レビュアー] 若林踏(書評家)

 ポール・オースターが書いた、正攻法の私立探偵小説。それだけでもうミステリファンにとっては買いだろう。『スクイズ・プレー』(田口俊樹訳)はオースターが『孤独の発明』(柴田元幸訳、新潮文庫)以前にポール・ベンジャミンの名義で執筆した小説であり、実質上のデビュー長編となる。

 元検事補で現在は私立探偵を営むマックス・クラインはある日、元メジャーリーガーのジョージ・チャップマンから仕事の依頼を受ける。チャップマンは選手としての絶頂期に交通事故で片足を失い現役を退いており、今は政界進出を狙って州の上院議員に立候補する予定だ。その折に脅迫状が届く。脅迫者の正体を探るために調査を始めるクラインだったが、さっそく二人組の悪党が現れて妨害される。

 地道な調査の果てに浮かび上がる複雑な人間模様、主人公の減らず口など、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーといった私立探偵小説の名作を連想させる場面が多く登場する作品だ。ミステリのプロットを用いた実験的な小説である〈ニューヨーク三部作〉とは一味違う、古式ゆかしいプライベートアイ小説として堪能できる。

 純文学で活躍する作家が別名義でミステリを書いた例といえば、日本では『草の花』(新潮文庫)などの著者、福永武彦が有名だ。福永は加田伶太郎名義で大学教授・伊丹英典が探偵役を務める連作を発表している。いずれも精緻なロジックで繰り広げられる推理を中心に据えつつ多彩な趣向に挑んだ謎解き小説の逸品で、『完全犯罪 加田伶太郎全集』(創元推理文庫)で全作品を楽しむことが出来る。

 また、小説以外の文芸ジャンルで功績のある人物がミステリを残した例もある。たとえば一九六七年から七二年まで桂冠詩人の地位にあったアイルランド出身のセシル・デイ=ルイスは、ニコラス・ブレイクの名前で数多くの探偵小説を書いた。ひき逃げで死んだ息子を持つ父親の復讐行が綴られる『野獣死すべし』(永井淳訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)は、意外性に富んだ謎解き小説の古典名作である。

新潮社 週刊新潮
2022年9月15日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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