100年前の東京で19歳の留学生は何を見たのか

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周恩来 十九歳の東京日記 改訂新版

『周恩来 十九歳の東京日記 改訂新版』

著者
周恩来 [著]/矢吹晋 [監修]/鈴木博 [訳]
出版社
株式会社デコ
ISBN
9784906905218
発売日
2022/09/26
価格
2,640円(税込)

書籍情報:openBD

100年前の東京で19歳の留学生は何を見たのか

[レビュアー] 立川談四楼(落語家)

 本書は先ず1999年、小学館文庫から刊行された。以来二十余年、日中国交正常化50周年を機に改訂新版として分厚くなって復活した。

 田中角栄と周恩来の乾杯の写真は記憶に残っているが、周恩来が若き日に日本へ留学したことは知らず、そうだったのかと興味が湧いた。

 1917年10月、神田区中猿楽町五番地の東亜高等予備学校に入り、大学入試科目の補習を受ける。それが始めで、19年4月に帰国するまで、滞在はわずか1年7ヶ月だが、失意の日を送ることも多かった。日本食には徐々に慣れたものの、日本語の手強さに苦労し、それがために東京高等師範学校と第一高等学校の入学試験に落ちるのだ。2度の失敗は周恩来を打ちのめす。ショックがありありと読み取れる。

 もし試験に受かっていたら。歴史にもしはないが、留学を続けて学門の道へ進んだら、革命家にはならなかったのではないかと愚考するのだ。

 私は彼を富豪のエリートだと思っていたが、逆だった。日本においても貧しかった。金持ちで奔放であれば、相当な二枚目である彼に浮いた話があってもおかしくはないのに、ましてや大正デモクラシーの東京であるのに、実に禁欲的なのだ。

 周恩来は失意の中にありつつも、東京を、日本人をじっと見ていたに違いない。そして国民性を理解したのだ。中国では毛沢東を建国の父、周恩来を建国の母と呼ぶというが、その母の繊細さが日中国交正常化をもたらしたのだと思う。

 その翌年の1973年、本書を読んで鮮やかに思い出したが、大相撲の中国親善興行が成功裏に行われた。横綱は北の富士と琴桜だった。検索すると周恩来と北の富士が握手を交わす写真が出てくるが、この興行も周恩来が日本にいたからこそのことだろう。

 大相撲一行は2004年にも再訪しているが、以降はない。日中友好は今、雲行きが怪しいのだ。

新潮社 週刊新潮
2022年11月3日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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