SF作家・新井素子の何がすごいのか? 唯一無二の存在である理由を文芸評論家が解説する

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南海ちゃんの新しいお仕事 階段落ち人生

『南海ちゃんの新しいお仕事 階段落ち人生』

著者
新井 素子 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758414326
発売日
2022/12/15
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

新井素子の世界

[レビュアー] 細谷正充(文芸評論家)

デビュー当初から、唯一無二の存在として異彩をはなっている新井素子の新作小説『南海ちゃんの新しいお仕事 階段落ち人生』が刊行。雑誌「ランティエ」のWeb版に連載されていた本作の読みどころと新井素子という作家について文芸評論家の細谷正充さんが解説する。

 ***

ジャンル・新井素子。作者のことを考えると、すぐそんな言葉が浮かぶ。唯一無二の存在だからだ。他の作家の作品では代わりにならない。そのような物語を、デビュー作から書き続けているからである。

一例として、『奇想天外』一九七八年二月号を見てみよう。第一回奇想天外SF新人賞の佳作となった新井素子の「あたしの中の……」と、大和眞也の「カッチン」と共に、星新一・小松左京・筒井康隆の「新人賞選考座談会」が掲載されている。この三人の中で、もっとも新井作品を評価しているのが星で、

「違った世代が、ついに出現したという感じを受けましたね。テンポというものがあるんだ。いままでの小説の中にない新しさというとテンポだろうと思うんだ」

「おそらくぼくは、くだらんおしゃべり自体がおもしろくて作品が生きていると感じているのかもしれない。こういう文体は初めてみた。いかにも女の子らしいし、いまだかつてお目にかかったことはない」

といっているのだ。小松や筒井は文章を批判しているが、それにもかかわらず佳作となったのは、星の力が大きいといえるだろう。ともかくこれにより作者は十七歳で、SF作家としてデビューしたのである。

十代の女の子がお喋りをしているような口語表現や、独自の文体はショッキングなものであった。個人的なことになるが、初めて新井作品を読んだとき、ストーリーの面白さに夢中になりながら、小説ってこういう文章でもいいのかと愕然としたものだ。以後、作品を読み続けているうちに、新井節と受け止め、愛読するようになった。そしていつしか“ジャンル・新井素子”だというようになったのである。

その作者の最新長篇が、本誌Web版の連載を経て単行本になった『南海ちゃんの新しいお仕事』だ。R大学四年生の高井南海が、別れ話のこじれにより、歩道橋の階段から転がり落ちる冒頭から、新井節全開。これこれ、これだよと、嬉しくなってしまった。

転落により足の骨を折る大怪我をした南海だが、不思議なことにすぐに治った。どうやら彼女は、やたらと転んだりこけたりする人生を歩んできたらしい。たまたま現場にいた板橋徹也という男性に助けられ、病院代も立て替えてもらう。

たまたまと書いたが、徹也が南海を助けたのには理由があった。彼は、この世にある“亀裂”を、赤系の色の靄として見ることができるのだ。亀裂は稀に、人に影響を与え、事故などを起こさせるという。何度も交通事故が起こる場所があるが、原因は亀裂である。そして南海はなぜか、必ず亀裂に引っ掛かるのだ。しかも亀裂を消滅させる力がある。また同時に、怪我をした自分の身体や、壊れた物を元の状態に復元することも可能なようだ。

日本有数の企業の常務である徹也に、超能力を見込まれた南海は、スカウトされて同社に入社。新設された“修復課”に所属する。ある理由から亀裂を無くしたいと思っている徹也と共に東京の街を歩き回り、さらには修復不可能なはずの物を復元するのだった。

主人公の南海は、かなり天然な女性だ。転落したりこけたりしている自分の人生(後に実家に亀裂があり、毎日のように階段から転落していたことが判明)を、そういうものだと受け入れている。怪我などがすぐに治ることも同様だ。しかし心の中には、強い芯がある。

一方の徹也は、街歩きばかりしているので社内で若年性認知症ではないかと思われているが、頭脳明晰で行動力がある。でこぼこコンビが、個人宅の中にある亀裂を消すのに苦労したり、こなごなになったカップを復元したことで山下という画家に怪しまれたり、警察から職質を受けたりと、ドタバタ騒ぎを繰り広げる。ボケとツッコミの立場をくるくる変えながら、しだいに互いを認め、相棒になっていく南海と徹也の関係が、楽しい読みどころになっているのだ。

ところが本書には、死の影が常に差している。徹也の悲しい過去。こなごなになったカップの一件。別の復元した物に関するエピソード。作者は何度も読者に、死を突きつける。中盤まで南海視点だが、山下視点を挟んで、徹也視点が入ってくると、ストーリーのシリアス度が増す。いったいなぜ、物語に死が漂っているのか。このような構成にしたのか。読んでいるうちに疑問は氷解した。南海の超能力の可能性に気づいた徹也は、命と魂の問題と、それに対する倫理的な感情に苦悩するのだ。テーマ自体はSFでお馴染みのものだが、こういう形で掘り下げてきたかと感心してしまった。

それに絡んで注目したいのが、南海の扱いだ。うすうす徹也の考えに気づいていた彼女は、心中を吐露されると、しっかりと自分の考えを述べる。新井作品らしい、心の強いヒロインの思考は、なんとも痛快である。死と向き合う物語が極度に暗くならないのは、南海の存在があってこそだろう。

さらに、南海の超能力を使ったビジネスの展望など、ふたりの会話が膨らんでいく。それを踏まえた終盤の展開は、かなり意外なもの。なるほどタイトルに、このような意味が込められていたのか。南海の実家の亀裂を、こういう風に使うのか。ラストまでたどり着いて大満足。新井素子ならではの物語世界を堪能したのである。

角川春樹事務所 ランティエ
2023年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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