『巴里うたものがたり』
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<書評>『巴里(パリ)うたものがたり』水原紫苑(しおん) 著
[レビュアー] 鈴村和成(文芸評論家)
◆熱情高鳴るパリ滞在記
水原紫苑氏のパリ滞在記と短歌、美しいモノクロ写真からなる一冊の本が誕生した。作者は故春日井建氏に師事した、<新古典派>と称される歌人。パリは四十年前の学生時代、曾遊(そうゆう)の地だ。
『枕草子』風のエッセイを特徴とする。こんな<思考の表裏>がある−「帰りたくない。帰らなければならない」。表も裏も真。表裏一体である。
フランスの教会めぐりのお手本をここに見る。シャルトル、トゥール、アミアンなど、大聖堂巡礼に応じて、話題も変化する。本書片手にパリを歩くのも一興だ。
水原氏の敬愛する三島由紀夫も嘆いたが、昔は着物の色どりを競いあったものなのに、今ではブーツやパンツなど、カタカナで片がつく。かつての華やかな着物をなつかしむ歌人もいよう。三島のようにラシーヌを愛する水原氏は、オペラ座などに足しげく通う。
ソルボンヌ大学の授業を聴講する彼女は、ハツラツたるものだ。単位などと関係なく、勉学と「言葉が好きなのである」。息子のような年下の学生、ギャルソンやホテルのスタッフと親しくなり、心地よい居場所をつくる。まことに「年齢と夢は関係ない」。
カテドラルのステンドグラスで名高い「最初と最後がトゥール」の旅である。クリュニー美術館の「貴婦人と一角獣」を皮切りに、同題のタピスリーで〆るのも、小説的な結構だろう。
パリ、とりわけ宿泊するホテルのあるカルチエラタンや、サンジェルマンへ熱情が高鳴る。二カ月半の旅行の結果、アパルトマンを買おうとまで思いがつのる。「まだ秘密」とあるのは、サンジェルマンに家を買う「仮契約」のことだろう。親交の永い四方田犬彦氏にいさめられ、あきらめる。
帰国の日が迫る。あと一週間、最終日、秒読みと、差しせまるに従い、パリ愛は沸点にたかまる。
本書でベストの短歌を一首、紹介しよう−「巴里幽閉愉しからずや羽衣をうばはれしかど裸身は天女」。
四十年間、眠っていた火種が発火するのだ。(春陽堂書店・2090円)
1959年生まれ。歌人。歌集に『びあんか』『うたうら』『客人』など。
◆もう1冊
水原紫苑著『快樂(けらく)』(短歌研究社)。フランスでの現地詠を含む第10歌集。