「どうしてこんな身近な山で…」意外に多い低山での遭難 捜索者が伝える山岳遭難の現場とは

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「おかえり」と言える、その日まで

『「おかえり」と言える、その日まで』

著者
中村 富士美 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103550112
発売日
2023/04/13
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

意外に多い低山での遭難 家族に寄り添う異色の捜索実話

[レビュアー] 市毛良枝(俳優)

「どうして、こんな身近な里山で大けがをするのだろう?」

 これは著者がほとんど登山経験のなかった頃、山での事故に抱いた素直な思いだ。

 著者は、登山者になじみ深いエリアで働く総合病院の救命救急担当の看護師である。

 なぜというこの小さな問いかけを、出席した講習会の受講生だった山岳救助関係者に疑問を投げかけ、それならと誘われ一緒に山に行くことになる。

 その後、ある山行で気になった場所に、改めて足を運び、偶然ご遺体を発見し、以来、捜索の現場にも誘われるようになる。そしてついには、自身も捜索に携わることに。その軌跡が6件の実話をもとに記されていく。

 山のことをよく知らなければ、低山は安全、高山は危険とたいていの人は思うだろう。低山の遭難は意外に多く、私の経験上、行方不明者を探す貼り紙を見たのは、ほとんどが近郊の低山だった。

 捜索にあたり著者の推理がたどる道筋は、山に慣れた人のそれではなく、一般人の視点から心理の綾や物事の本質をついていく。迷った登山者が向かう先は、山に詳しい人の予想を裏切るもののようだ。心理の分かれ道が、運命の分かれ道のようにも思えて興味深い。丹念に家族の話を聞き、遭難者の人柄に迫り、その人ならどう行動するかを考えて捜索範囲を柔軟に設定する著者。読者もハラハラしながらその考察の行方をみつめる。

 やがて著者は、たった7年で、山岳遭難捜索団体を立ち上げるまでになるが、活動するうちに遭難者の捜索だけではなく、依頼者であるご家族のサポートにも目を向けていく。看護や救命救急の経験から、行方不明者を待つ家族や、大切な家族を亡くした遺族の心に寄り添うようになる。決して誰もが簡単にできることではなく、そのきめ細やかな配慮に頭がさがる思いがする。医療や、福祉や、それ以外の広い分野にこういう活動がもっと多くあったらと、今の世の中に欠けているものを提示された気がする。

 低山の実態を伝えようとする本書。自然の脅威は荒れくるう災害や高所の厳しさに限らず、身近な自然にも潜むこと。そしてニュースにならない小さな事象にも、必死で生きようとした人や、割り切れない気持ちを抱えた家族がいること。本書に描かれているのは、登山という特別な範囲ではなく、身近にも潜むことだと想像してほしい。そして、もしもの時、こんな風に寄り添ってくれる人がいることに救われる思いがする。

新潮社 週刊新潮
2023年5月18日夏端月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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